使徒27:1-38

ローマへ船出

1.船出

 この時代は、帆船かガレー船(戦闘用の手漕ぎ船)で、移動していました。もちろん陸路もあり得るのですが、海上輸送が発達していたこのころは、定期の帆船のほうが早かったのだと思われます。とは、言いながら当時は、地中海を突っ切るような船はほとんどなく、沿岸の港を回っていく方式です。なぜなら、嵐に遭遇する危険性が高く、いつでも港や島影に逃げ込む必要があったからです。特にギリシャのアカイヤ州の南側は、難所として知られていて、そこを通らなくて済むコリントの港で、エーゲ海からアドニア海を陸路で結んでいたのです。つまり、最初から危険な旅だったのです。

 

 2.暴風にあう

 ユウラキオン(Eurakulón)とは、ユーロ(東風)とラテン・アクイロ(北風)、つまり北東の風です。(この言葉はギリシャ語の聖書にはありません)暴風にさらされると、船体を守るためにいつもは本船につないでいる小舟を引き上げ、そして船体に縄を巻き付けて補強をします。また、浅瀬に乗り上げては浸水してしまうので、錨を投げて、漂流を防止します。それでも、漂流を続け、揺れが激しいので、荷物を捨て始めます。つまり、命の危険が迫ったので、船を軽くして浮力と復元力を確保するわけです。浅瀬にきて15オルギィア(1オルギィア=185cm)程度になると、船員が小舟で逃げ出そうとします。陸が近いことを知って、我先に逃げたのです。なぜなら、そろそろ船が座礁してしまうからです。パウロは、その動きを知り、船員たちがとどまるようにします。

パウロを乗せた船は、クレタ島のフェニクス港に向かう途中 
北東の風に流され漂流しました。