コリントの信徒への手紙一7:25-40

未婚者の結婚


1.時代背景

 この手紙の背景で二点抑えておく必要があります。AD64年ころ書かれたものですから、すでに皇帝ネロ(在位 54年10月13日 - 68年6月9日)の時代です。根拠はどこにもありませんが、ペトロはネロの手によって迫害され殉教したとされています。キリスト教への迫害が、始まっていたので、いつ殉教するかわからない状況だったと言えます。そして、イエス様の再臨がもうすぐ来るとも考えていました。いずれにしろ、殉教か、終わりの日となるかですから、将来について不安があるわけです。そして、そのとき独身者は、結婚すべきか?既婚者は分かれるべきか? が、喫緊の課題であったわけです。

 加えて、未婚の人には、まだ婚約もしていない人、婚約中の人、そしてやもめ(独身の人)がいます。今から困難にぶつかるにあたって、供に歩む人がいれば心強いでしょう。しかし、結婚しているならば、お互いに重荷になることも起こり得るのです。24節までの間に、結婚している人はそのまま離れない。結婚していない人は、結婚しない方が良いとパウロの考えを教えていました。それから、律法にあるように死が二人を分けたならば、再婚は可能であります。ということで、未婚者の結婚で主に問題なのは、婚約している者であります。

2.未婚者の結婚

 パウロは、未婚者の結婚については、「主の明確な指示はない」、と断っています。イエス様は、離婚することを禁じました。当時のユダヤ社会では、「夫の方だけが妻を離縁できる」という不平等な制度が適用されており、モーセの律法もそれを容認(やむを得ないとき)していました。イエス様は「男性が一方的に離縁すること」を禁じたのです。パウロはこのイエス様の教えに従って、教えていましたが、婚約中の場合については、指示されていません。それで、パウロは自分自身の意見だと断った上で、この問題について語り始めます。

 パウロはまず、「今危機が迫っている状態にある」と言います。「現在の緊急事態を鑑みれば、婚約中の人はそのままで、つまり結婚しない状態にとどまる方がよいのです」ということになるでしょう。だからパウロはこのようにお勧めしました。この訳には2種類あります。

『7:27 妻と結ばれているなら、そのつながりを解こうとせず、妻と結ばれていないなら妻を求めてはいけない。』

「妻がいる場合は、結婚を終わらせようとしないでください。妻がいない場合は、結婚を求めないでください。」 この訳ですと「召されたままで」と教えたばっかりなのに・・・と違和感があります。 

「婚約の誓いに縛られている男性は、その誓いを解こうとしてはいけません。しかし、婚約の誓いに縛られていないのなら、結婚しようとしてはいけません」

 婚約をしているかどうかの事実ではなく、その思いが重要です。婚約に強く縛られているかどうかで選ぶのが良いのです。しかもあわてて、現状を変更するのではなく、婚約したまま、そして未婚のままで、今の危機が過ぎさることを待つと言うことなのでしょう。

『7:28 しかし、あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません』とあります。これは、結婚しない方がよいとパウロが勧めているのに、結婚する人がいたことを想定しています。「罪になるわけではないからダメとは言わないけど、苦労するよ!」 と。

 パウロは当時の世界のありようが、イエス様の来臨によって過ぎ去る時がきわめて近いと信じていました。ですからあまりこの世の事柄にこだわりすぎるな、深入りしすぎるな、というのがパウロのお勧めなのです。妻のある者は妻のない者のようにしろとは、新婚ほやほやの夫は妻のことばかり考えるでしょうが、しかしこの緊急時にはそればかり考えているわけにもいかないのだ、とパウロは注意しています。この世の事柄で喜んだり、悲しんだり、あるいは将来のために蓄財することは平時であれば大事なことでも、この世の終わりが近いという緊急の時には、あまり意味がないのだ、とパウロは訴えかけているのです。

 しかし実際には、パウロの生きている間には世の終わりも主の再臨も実現しませんでした。それから二千年が経ちましたが、たしかにこの世の有様は二千年前とはまったく様変わりしているものの、主の来臨による決定的な世界の変化は起きてはいません。


 パウロは、独り身が良いと言っていましたが、その理由がここにも書かれています。

『独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、7:33 結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、7:34 心が二つに分かれてしまいます。』

  「イエス様にどうやって喜んでもらえるか?」それだけに心を遣いたいのが、パウロの本心でしょう。

結局、「離縁してはならない」とのイエス様の教えとモーセの戒めすべてを守るように言いましたが、独身でなければならないとこともなく、結婚しなければならないのでもありません。罪を犯すことにならなければ、その自分の思いによって選んでよいとの結論でした。独身でいることを薦め、そして独身なら独身のまま、既婚なら既婚のままも薦めました。しかし、婚約中の者には、その婚約への縛りや、思いから結婚をしても苦労するだけで問題ではないとして、結婚を認めます。また、やもめも、律法通りに認めるのです。