使徒13:1-12

 サウロを伴って

2022年 7月 3日 主日礼拝

サウロを伴って

聖書 使徒言行録13:1-12

今日は、使徒言行録からパウロの第一回伝道旅行の記事からです。このころのパウロは、サウロと呼ばれていました。

  アンティオキアは、現在のトルコのアンタキヤという名前の都市になっています。2000年前はローマの属州シリアの中心都市でした。エルサレムを脱出していたクリスチャンが、伝道拠点としていましたので、アンティオキアの教会には、預言する者や教師など働きを担う人々がそろっていました。最も早くからキリスト教伝道の中心地となっていたようです。聖書には、アンティオキアで奉仕した人た5人の名前が上がっていますが、バルナバやサウロを除くと、どういう人なのかを知る手掛かりはありません。今日の記事によると、ヘロデと一緒に育ったマナエンとあります。実は、ヘロデ・アンティパスもアグリッパ一世もアグリッパ二世もローマで育てられました。歴代のローマ皇帝は、ヘロデ家の子供たちと、共に学び、そして遊んだのです。そういう意味で、マナエンと言う人は、ローマ皇帝と同様に最高の教育を受けていたと思われます。また、サウロ自身も、ガマリエルと言う名の最高の学者から教育を受けていました。おそらく、ほかの3人もアンティオキアの教会を支えるために必要な、特別な才能があったのだと思われます。ここには、使徒言行録を書いたルカ自身のことは記されていませんが、このように、中心人物の名を具体的にあげるていること、そして伝道旅行に参加していて、その様子を詳しく書いている事実から、ルカもアンティオキアにいたとが想像されます。これらの才能のある教師たちが揃う教会になっていたので、外国への伝道を計画し、バルナバとサウロを派遣することが出来たと思われます。

 この伝道旅行の派遣者として、聖霊は、バルナバとサウロを指名しました。中心となるのはバルナバです。バルナバは、このときサウロを指導する立場でした。今日の個所も、「サウロがキプロスに伝道に向かった」というよりは、バルナバの伝道旅行に、のちにパウロと呼ばれるようになるサウロが付き添ったという関係でした。その関係は、今日の聖書の個所までで終わります。次の章からは、「パウロ一行」とか「パウロとバルナバ」と書かれるようになります。バルナバは、このときから代表的な立場をパウロに譲ったのだと思われます。そのバルナバについては、何度か聖書に出てきますので、どのような人なのかを、読み取ってみましょう。

 

使徒『4:36 たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、4:37 持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。』

 これを読むと、バルナバとはあだ名です。「慰めの子」というあだ名で使徒たちから呼ばれていたという事なので、やはり「やさしい」方だったのだと思われます。そのころ、イエス様の弟子たちはエルサレムに教会を立ち上げて、共同生活を始めていました。その群れを支えるために、バルナバは自分の畑を売って、そのすべてを献金したのです。

次に、

使徒『9:26 サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。9:27 しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。』

 サウロは、回心した後、エルサレムに向かいました。今までイエス様の弟子たちを迫害していたのですが、イエス様とダマスコで出会って、イエス様を信じました。そのことをイエス様の弟子たちに報告するためにサウロはエルサレムに向かったのです。しかし、当然のことですが、昨日までイエス様の弟子たちを迫害していたサウロです。だれも、サウロを仲間だと思いませんし、サウロがイエス様を信じるようになったとは考えられません。むしろ、また迫害をしにやってきたと思ってサウロを恐れました。そこで、間に入ったのがバルナバです。バルナバは、サウロに起こった出来事をエルサレムの弟子たちに伝え、そしてすでにサウロは伝道を始めて、多くの人をイエス様を信じる者としたことを伝えて、とりなします。誠実な人として知られるバルナバがとりなしたがために、パウロはイエス様の弟子たちの仲間に入ることが出来たのです。

 そして、バルナバはサウロをアンティオキアでの異邦人伝道に導きます。

(参考:使徒『11:22 このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。11:23 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。11:24 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、11:26 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。』)

 アンティオキアで異邦人への伝道が始まっていて、多くの信じる者が出たという「うわさ」がエルサレムに届いていました。イエス様のグループは、従来から、ユダヤ人にしか伝道していませんでした。それが、サウロがキリスト教を迫害してきたことで、状況が変わってしまったのです。エルサレムの多くのキリスト教徒が、サウロの迫害を避けるために各地に脱出していたのです。その脱出してきたキリスト教徒のうちキプロス島やクレネ島から来ていた人たちが、アンティオキアで異邦人に伝道を始めていたのです。その「うわさ」を聞いて、エルサレムの教会はさっそくバルナバを派遣します。結局、バルナバはアンティオキアの教会の責任者のようになりました。「その働き」を助けてもらうためにサウロを迎えたのです。バルナバは、サウロの信仰を最も理解していたと思われます。ですから、エルサレムでは弟子として認められたものの、働き場所のないサウロにその機会を与えたのでした。バルナバは、このように働き人を捜し出して、アンティオキアの教会を伝道拠点として育てていたのでした。そんなとき、聖霊はバルナバとパウロを選び、このように告げます。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。』

 アンティオキアの教師たちは、バルナバとサウロの二人の頭に手を置いて、祈りました。これは、祝福であり、そして任命・派遣の儀式でもありました。

 

  こうして、バルナバ、サウロ、そして助手としてマルコと呼ばれるヨハネが、キプロス島への伝道に向かうわけです。マルコとは、バルナバのいとこ(コロサ4:10)で、後にマルコによる福音書を書いたとされている人物です。この3人はユダヤ人の諸会堂を拠点として伝道しました。諸会堂とは、シナゴーグの事です。そのころはまだ、キリスト教はユダヤ教の中にいましたから、ユダヤ人のいる町に必ずあるシナゴーグが伝道の拠点となりました。シナゴーグは、ファリサイ派の人々が、律法を教え、神様を礼拝する場所として各地に建設したもので、安息日にはユダヤ人たちが集まってきていました。

 バルナバとサウロが、キプロスの総督に会う機会がありました。魔術師であって偽預言者である人物からの仲介です。このころの政治は、預言者や魔術師をも用いて、諸問題に対応していたようです。もちろん、魔術師や偽預言者には何の権威もありませんが、総督はそのような特別な力に期待して、傍においていたのだと思われます。一方で、バルナバとサウロの二人は、良い伝道の機会だと思って、総督にイエス様のことを熱心に話したのでしょう。たぶん、その熱心さに心配したのだと思われます。魔術師エリマは、これを邪魔しようとします。当時のことですから、政治と宗教は切り離せません。そして、魔術も時には使われたと思われます。この魔術師エリマも、絶大な権力者である総督の傍で、政治的、宗教的アドバイスと、時々見せる不思議な魔術を使うことで、その地位を保っていたものと思われます。バルナバとサウロが総督の心を捉えてるのを見て、エリマは彼の地位を守るために、バルナバとサウロの邪魔をしようとしたのでしょう。すると、サウロはその魔術師をにらみつけて、

『13:11 今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」』と言います。恐ろしいことです。サウロの言ったとおりになる事が恐ろしいだけではありません。サウロが言ったとおりにならなかったとき、それはサウロの身に危険が及ぶでしょう。しかしそのとき、サウロは聖霊から力を与えられて、全くのためらいもなく、言ったのです。そして、聖霊の力によってサウロの言ったとおり、魔術師は目が見えなくなりました。

 魔術師はと言うと、手助けがないと、歩けなくなってしまいました。こうして、サウロは、驚きの業を総督の目の前でして見せたのです。

 イエス様が、そして聖霊がサウロに与えたこの「奇跡の業」を見た総督は、イエス様を信じる信仰を手に入れました。もともと総督は、この二人の教えに興味があって、招待したものと思われますが、さらにこの驚きの業、奇跡の出来事がありました。総督は、真剣に2人の教えに聞き入っていたのでしょう。そこにこの出来事です。総督は、その出来事を見て、イエス様の力が示された その「しるし」だと捉えたのだと思われます。こうして、総督はその日のうちに信仰を持ちました。聖霊からイエス様を信じる信仰が与えられたのです。

 

 この総督がイエス様を信じるに至るまでの時間は、大変短かったのですが、かかる期間の長さと信仰の強さには、相関関係はないと私は思います。ところが、私たちはクリスチャンになるためには、ある程度の長い期間教会に通ってなどと条件を付けているのではないでしょうか? 礼拝や教会学校でみ言葉を学んで、祈って、そして証しをするようになることが必要と考えているのかもしれません。しかし、それでなければならない理由はどこにもありません。イエス様が伝道していた時、そしてサウロが伝道していた時、私たちが頂いたような指導はなかったと思われます。思い出してみると、サウロが回心してイエス様を信じるようになったのも、一瞬の出来事でした。サウロと比べてこのローマの総督が特別に短い時間で信仰をもったわけではないのです。と言うことは、私たちは理性に頼りすぎなのでしょう。そのために、信仰を難しくしているのかもしれません。そもそも信仰とは、「経験や知識を超えた存在を信頼し,自己をゆだねる自覚的な態度」を言います。ですから、私たちは、「経験と知識を超えた存在」を経験と知識で理解できるわけではありません。いくら、知識や経験を積み重ねたとしても、イエス様を信じることには、直接的には繋がりません。ただ、知識や経験が多いほど、イエス様の事を受け入れる機会が増えることは確かでしょう。今日の聖書にあるように、総督は、その最初の機会でイエス様を信じました。そして、そこに働いたのは、聖霊です。聖霊はサウロを用いました。聖霊は、バルナバではなく、サウロに世界伝道を託そうとされたのです。そして、この時からサウロはこの一行を代表する存在と事実上なったのです。使徒言行録を書いたルカは、次の章からは、サウロをパウロと呼ぶようになります。バルナバがサウロを伴ったことをきっかけに、サウロは伝道者パウロとして強く立つことになったのです。それは聖霊の働きによるものであり、また、聖霊がサウロを用いようと計画されたからです。こうして、サウロ改めパウロが、各国を回る最初の伝道で成果を出しました。そして各地でイエス様を信じる者を導きます。その背後には、イエス様や聖霊の導きがあります。そして、忘れてはならないのは、バルナバによる配慮です。バルナバは、サウロがより強く立たされる時を願って、アンテオキア教会の伝道旅行にサウロを伴わせ、そして活躍の場を作りました。そして、サウロに活躍の場を譲ったのです。バルナバは聖霊の導きに対して、従順でした。こうして、全世界への伝道が始まり、そして本当に全世界に福音が伝わりました。パウロの活躍の陰に、この従順なバルナバの信仰があったこと覚え感謝しましょう。そして、私たちも伝道とかかわり続けることを、聖霊によって導かれるよう、祈ってまいりましょう。