1.死と復活を予告する
イエス様一行がエルサレムへと旅を続けるさなか、イエス様は先頭に立ちました。その姿を見て弟子たち、従う人たちは驚き、恐れました。イエス様は、その場面で これまで以上に具体的に受難と復活を語ります。今までも2回、イエス様は語っていましたが、弟子たちは十分に理解できていません。また、イエス様が先頭に立ってエルサレムに向かっていることから、その死と復活がエルサレムで起こるとか、少なくとも何らかの出来事が起こりそうであることを弟子たちは感じ取りました。そして、もし死ぬのであれば、さっそうとエルサレムに向けて先頭を進むなどとは、ありえないと思ったことでしょう。そういった驚きのなかで、やはり、イエス様にはどんな苦難が待ち受けているのだろうかと恐れました。それは、同時に、自分たちも巻き込まれるのではないか、との 怖さもあったのでしょう。
2.ヤコブとヨハネの願い
そこに、このヤコブとヨハネは、イエス様にお願いを言い出します。
『10:35 ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」~「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」』
なにか控えめなお願いのようですが、願っていることはかなり大胆です。つまり、イエス様が十分に適えてくださるはずだとの、確信をもっていたと言えるでしょう。もしくは、うがった考えをすると、イエス様の約束次第で、イエス様にどこまでもついていくかどうかを決めようとしていたかもしれません。そういう意味で願い出たならば、誰よりもイエス様の死と復活の予告を聞いていた と考えることもできます。
この二人はここまで、受難と復活の予告について、理解していなかったのは、明らかです。また、言っていること「わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」が実現する前に、死と復活があることを受け止めていません。まさかイエス様が、死ぬためにエルサレムに先頭になって進んでいるなどとは、思ってもいないわけです。たしかにいくらイエス様と共に歩み、いつも教えられていても、なかなか理解できなくて、信仰の薄い弟子たちの姿がそこにありました。 イエス様は、彼らがのぼせ上っていたのか、現実を考えてイエス様を天秤にかけているのか などは詮索する事は無しに、二人の願いをまっすぐに受け止めて、彼らに聞きました。
『10:38 イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」』
弟子たちは、先頭に立って進むイエス様を見て驚き恐れたように、苦難がありそうなことについては多少は理解するようになっていたのでしょう。しかし、それほど深刻に捉えてはいません。確かにこの世の王として国を治めるには苦労もあるだろう、けれども、「最後に勝つのはイエス様」だ、と思っていたのかもしれません。自分たちが従うこの先生が、ましてや「救い主」だと噂されているなら なおさらのことです。弟子たちは、死んでしまうことなど想像もできないのです。
「このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」このイエス様の問いは、そのまま、弟子たちが理解していないことでした。苦杯をなめ、そして十字架上の死と言う「バプテスマ」について、イエス様はふたりの弟子に「その覚悟」を聞いたわけです。(私たちは、この話の結末を知っていますので、最後にはイエス様が勝利する、と楽観的にとらえてしまいますが、当時イエス様の言っている意味が分かって聞いたならば、恐怖の中に落ち込んでしまうでしょう)
『10:39 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。10:40 しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」』
二人の弟子は、何もわからないまま「できます」と言いました。願い事をしている最中なので、ここは引くことは許されないところです。わからないまま、答えたことにイエス様は否定しませんでした。そして、この二人は殉教することを予告したのです。しかし、右と左の席については、神様に定められた人々に委ねられることを話しました。
『10:41 ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。』
二人の弟子は、かなり楽観していると思われます。何かあっても、自分は大丈夫だ、そして大出世をする、その確証が欲しい。そのためにイエス様に、自分たちの分だけでも大臣なりの椅子を約束していただきたいと願ったのです。そう理解した他の10人は、この抜け駆けに対して当然ながら腹を立てたわけです。
『10:42 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。10:43 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、10:44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。』
この抜け駆けがばれたときのこの騒動。12弟子の誰もが同じ思いを持っていたのでしょう。みな、偉くなりたいのです。そして、支配者になりたいのです。しかし、偉いのは皆に仕える人であり、支配者となるのは、すべての人の僕となる人なのです。そう、イエス様は教えました。