宿営の端で始まった小さい呟きが、イスラエルの民全体を不信仰に陥れ、滅びに至らせるほどに広がりました。小さい呟きがいかに大きな害をもたらすか。この小さい呟きを大目に見て、見逃してはいけません。
また、神様の臨在を現わす雲と火の柱を見つつ、整然とした出発をしたにもかかわらず、足が痛いことや食物のことで、すぐに呟きを始めるという人間の罪深さも知らなければなりません。どんな戒めも、祝福も、訓練も、外面的なものであれば、それはすぐに不平や呟きに変わります。霊が潔められなければなりません。潔められていない人の態度は変わりやすいのです。
1.神様の怒りの火
宿営の端で始まった不平と呟きに対して、すぐに神様の怒りの火が下りました。
『11:1 民は主の耳に達するほど、激しく不満を言った。主はそれを聞いて憤られ、主の火が彼らに対して燃え上がり、宿営を端から焼き尽くそうとした。11:2 民はモーセに助けを求めて叫びをあげた。モーセが主に祈ると、火は鎮まった。』
呟きは大声ではありません。しかし神様はそれを聞きました。神様は、私たちの内にある不平、不満の思いをも聞いているのです。呟いた者たちは、今度はモーセに向かって叫んでいます。自分勝手なわがままを言って、禍が下ると、叫び出す。ここで真剣に祈ったのは、モーセ一人だけでした。なぜ、民は神様の怒りの火を受けた時、罪を悔い改めて、祈らなかったのでしょうか。?
2.不平とつぶやき
この不平とつぶやきはおさまらず、宿営の中全体に広がって行きました。
『11:4 民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。「誰か肉を食べさせてくれないものか。11:5 エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。11:6 今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。」』
こうして呟きは先ず、信仰が不確かで、不安定な者へと伝わっていきます。それはまたたく間に、全イスラエルに及んでいったのです。彼らは欲望にかられて、大声で泣き始めました。これではもはや呟きではなく、あからさまな反抗です。彼らは、不自由な荒野の生活が始まると、目先の困難に心が奪われて、エジプトで奴隷だったひどい苦しみも忘れ、神様によってそこから救い出されたことも忘れ、ただ食欲だけにかられて、「肉が食べたい。魚が食べたい。野菜が食べたい。」と泣き叫んだのです。彼らはあたかも、エジプトの奴隷時代にこれらのものを腹一杯食べたかのように言っています。しかしそんなことはなかったのです。彼らは不平を大げさにするために、ありもしなかったことを叫んだのです。
現代の信仰生活の中にも、神様のマナであるみことばに満足せず、この世の楽しみを求めて走りまわっている人を想定してください。そういう姿が、私たちの本来の姿であることを自覚しなければなりません。
『11:7 マナは、コエンドロの種のようで、一見、琥珀の類のようであった。11:8 民は歩き回って拾い集め、臼で粉にひくか、鉢ですりつぶし、鍋で煮て、菓子にした。それは、こくのあるクリームのような味であった。11:9 夜、宿営に露が降りると、マナも降った。』
その味わいは「おいしいクリームのような味であった。」とあります。この神様の送り物の中に、必要なすべての栄養が含まれていたのです。みことばには、必要なすべての霊的な栄養が含まれているのです。
『11:10 モーセは、民がどの家族もそれぞれの天幕の入り口で泣き言を言っているのを聞いた。主が激しく憤られたので、モーセは苦しんだ。』 明らかに、これはモーセヘの強烈な抗議です。これに対して神様の怒りはますます激しく燃え上がります。神様を、怒らせたのです。そこでモーセは神様に祈っています。
『11:11 モーセは主に言った。「あなたは、なぜ、僕を苦しめられるのですか。なぜわたしはあなたの恵みを得ることなく、この民すべてを重荷として負わされねばならないのですか。11:12 わたしがこの民すべてをはらみ、わたしが彼らを生んだのでしょうか。あなたはわたしに、乳母が乳飲み子を抱くように彼らを胸に抱き、あなたが先祖に誓われた土地に連れて行けと言われます。』
モーセの苦しみは息子や娘のためではありませんでした。それは神様の召命によったのです。もう一つの問題点は、民に肉を与えることです。だから、こう訴えました。そして、殺してくれと祈ったのです。
『11:14 わたし一人では、とてもこの民すべてを負うことはできません。わたしには重すぎます。』