1.主が選んだ「神の民」
『7:6 あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。』
「主の聖なる民」を選んだ主体は、民ではなく、主です。キリスト者を選んだのも、同様に主です。それは、この記事等によるものです。
ヨハネ『6:37 父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。』
ヨハネ『10:27 わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。10:28 わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。10:29 わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。10:30 わたしと父とは一つである。」』
2.契約
『7:9 あなたは知らねばならない。あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを。この方は、御自分を愛し、その戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、慈しみを注がれるが、7:10 御自分を否む者にはめいめいに報いて滅ぼされる。』
聖書にはほかにも、主を愛するものを主は愛する、という意味の聖句があります。
詩篇『145:20 主を愛する人は主に守られ/主に逆らう者はことごとく滅ぼされます。』
ヨハネ『14:23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。』
だれでもイエス様を愛するなら、イエス様の言葉を守るでしょう。つまり、だれでもその戒めを学び、守るために努力するでしょう。なぜなら、イエス様への愛を証明するものが何もないので、イエス様への完全な服従で示すしかないからです。誰も従順さで満足したり、イエス様への愛を断言したりすることはできません。しかし、イエス様を愛する者は、神様に従うことを自分の仕事とします。
そして、父なる神様は、イエス様を愛する者を愛するでしょう。そして、父なる神様は、その恵みにおいて、彼への愛を現します。この神様への愛は、私たちの従順の結果ではなく、原因です。そして、私たちの魂に対する神様の愛の現れは、私たちが神様とともに歩むことにかかっていることは確かです。これは、父なる神様とイエス様が人々を愛し、戒めを守る人々のところに来ることによってなされます。
『7:11 あなたは、今日わたしが、「行え」と命じた戒めと掟と法を守らねばならない。 7:12 あなたたちがこれらの法に聞き従い、それを忠実に守るならば、あなたの神、主は先祖に誓われた契約を守り、慈しみを注いで、7:13 あなたを愛し、祝福し、数を増やしてくださる。』
ヨハネ14:23には、「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。」というイエス様の御言葉がありました。新生したキリスト者は、霊において新しく生まれ(ヨハネ3:3.6)、魂は救われているのですから(1ペテロ1:8.9)、「救われる手段として主が語られた御言葉を守る」というのではなく、「救い主であり、主であるキリスト・イエス様を愛しているので、主に祈った結果として、主の御言葉を守る」のです。
救いは、神様の恵みと一人一人の信仰によります。それ以外では救われないのです。なぜなら、救われていない人が律法の根底に基づいて律法のすべてを落ち度なく守る、などということはだれにもできないからです。
『 7:14 あなたはすべての民の中で最も祝福される。あなたのうちには子のない男も女もなく、あなたの家畜にも子のないものはない。7:15 主はあらゆる病気からあなたを守り、あなたの知っているエジプトのあらゆる重い病気にかからせず、あなたを憎むすべての者にこれを下す。』
14節は、言葉の通りです。そしてそこには、り患したエジプトの病気が前提としてあります。エジプトの病気 とは、 エジプト人が一般的に感染したようなエジプトの疫病だけではありません。特別な疫病も、エジプト人の間で蔓延していたことを覚えています。それは、神様がユダヤ民族の罪のために彼らを懲らしめた他の伝染病にも言及されます。ハンセン病やその他の動物由来の感染症は、エジプトで頻繁に発生しました。聖書はまた、出エジプトの物語を通して、ファラオのかたくなさと、その失敗を根拠に、特別な禍をエジプトに起こしています。特に、初子を打った禍は、イスラエルの人々は神様が守ったので、過ぎ越すことができたのです。