1. 「おじぎをした」ヤコブ
エサウが知らせを聞いて、ヤコブを迎えるために四百人の者を引き連れてやってくることは異常とも言えます。ヤコブと一戦を交えるようになった場合に備えてのことなのか、聖書には書かれていません。ただ、エサウには戦える体制があります。一方で、ヤコブは剣で戦ったことは一度もありません。すべては、エサウの心のままになる状況だったのでしょう。
ヤコブの場合は七回も地にひれ伏しておじきをしています。これは、兄エサウに対する謝罪と和解のための行為なのでしょうか?むしろ、兄エサウの怒りをなだめるための行為なのかもしれません。そして七回のおじぎは、当時の王に対する礼拝だと言われています。ただ、兄に会うだけで、過剰な挨拶だとも言える不自然さがあります。ですから、ヤコブは兄を相当に恐れていたことが分かります。この恐れから解放されることを願って、昨晩ヤコブはヤボクの渡しで、一晩中神様に祈って格闘したのでした。
しかし、意外にも、何事も起こりませんでした。でも、ヤコブは大変心配していたのです。その証拠にこんな記事があります。
『33:2 側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。』つまり、より愛するものを自分のそばに置いて、いざとなったら逃げようとの体制を作っていたわけです。先頭から、何事も起こらないことを確認したヤコブは、ここで一気に先頭に進んで、エサウと再会しました。「エサウは、長子の権利を奪ったヤコブを討ち取ろうとしている」とヤコブは思っています。だから、ヤコブはエサウを恐れたのです。エサウの方はどうでしょうか? すでに、父イサクの住む場所を離れ、セイルで族長となっているわけです。そして、ヤコブの向かうのはイサクの家のある場所です。戦う意味はなかったのでしょう。また、そもそも奪われた長子の権利は、ヤコブのものでありました。
2.ヤコブを迎えたエサウ
兄のエサウはヤコブとは違って率直な人なのでしょう。そもそも、異国の女と結婚していたので、長子の権利も祝福もエサウのものではありませんでした。それも、利害関係はもともと無いようですから、ヤコブとの確執はすでに忘れてしまっているようです。ですから、エサウが善い人に変えられたと言うよりも単純に素直なだけなのかもしれません。弟のヤコブに対して一切、過去のことを言いませんし、わだかまりがあるようには見えません。
400人もの人を引き連れているエサウです。戦いに来たのでしょうか? それとも常に、その規模で移動しているのでしょうか? ヤコブに会うだけのために400人で移動する必要はありませんが、一晩で400人も集めて出発してしまうわけですから、いつもそれだけの人がいることは確かです。また、これだけの人数が移動するためには、食料の確保や輸送もかなり組織的に行わなければなりません。なぜならば、食料を道中で買い求めようとも、農家一軒で貯蔵している穀物などで400人分を賄うのは無理だからです。そういうことから、男400人の大所帯で常時家畜の餌を求めて、回っていたということでしょう。そして、400人をすぐに派遣できることから、セイルの族長としてかなりの軍事力を持っていたと言えます。言うまでもありませんが、千人規模の一族を支えている経済的基盤は、もはや狩猟ではなく、遊牧であります。
3.旅を続けようとするヤコブ
ヤコブはエサウにセイルへ行くと述べましたが、まだエサウのことを恐れていたのだと思われます。結局、ヤコブはエサウの住むセイルには向かわず、スコテへ行き、そこで自分と家族のために家を建て、家畜のためには小屋を作りました。ヤコブはパラン・アラムを出て、ここにはじめて自分の居場所を定めたのです。さらにヤコブはシェケムに移動し、そこに宿営し、その一部を買っています。おそらくそこに滞在したと思われます。そうして、ヤコブの居場所が、イスラエルの本拠地となります。そしてエサウは、エドム人の祖先となりました。イスラエル民族の住む地域の南側を脅かす民族となったのです。すなわち、この時のヤコブの行動によって、イスラエルはエドムと 平和的にたもとを分かったのです。