この箇所は、すでに使徒言行録の9章に書かれています。パウロは、その時のことを振り返って、群衆に対して今までの経緯を説明したのです。
1.主よあなたはどなたですか?
ダマスコで、キリスト教の信者を捕まえ、エルサレムに送るために、パウロは旅をしていました。そこに突然、天から強い光がパウロを照らし、パウロは倒れました。光は、神様を象徴しています。神様は、仰ぎ見る者にとって光そのものだからです。
詩編『27:1 【ダビデの詩。】主はわたしの光、わたしの救い/わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦/わたしは誰の前におののくことがあろう。』
そのときサウル(παύλος<パウロ>のユダヤ名 なお、新約ではサウロと訳されている箇所が多い)は、イエス様の声を聴きます。
『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』
パウロは、主(ヤハウェ)の声を聴いたのですが、主を迫害した記憶はありません。パウロが迫害した相手は、イエス・キリストの弟子たちです。そこで、すぐに聞き返します。
『主よ、あなたはどなたですか』
『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』
イエス様が主であることを知ったパウロは、『主よ、どうしたらよいでしょうか』とイエス様の命令を待ちました。このとき、パウロは、イエス様が神様であることを知り、そして神様にパウロ自身をゆだねたのです。
また、光のために目が見えなくなっており、ダマスコまで手を引いてもらって、アナニアの祈りによって目が見えるようになります。そして、パウロはその体験を主の証人として語るよう、アナニアから言われました。アナニアの指示は、イエス様が、そして主が準備されたご計画だったのです。
2.異邦人のための宣教者となる
パウロがエルサレムに帰って、神殿で祈っていた時、また主が、イエス様がパウロに話しかけます。
『急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。』
いくらパウロがエルサレムでイエス様のことを証ししても、エルサレムの人々は受け入れない。そう主(ヤハウエ)が言ったとパウロが証ししました。ということは、主(ヤハウェ)はパウロを忠実な僕として用ようとしていて、そのパウロの言うことを信じないエルサレムの人々は主(ヤハウェ)の声に耳を貸さない人々だという意味になってしまいます。そして、主(ヤハウェ)は命令したと説明します。
『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』
この言葉は、直接には「異邦人のためにパウロを派遣する」と言う意味ですが、その前段で「エルサレムの人々はパウロの証を受け入れない」と主(ヤハウェ)が言ったとの主張ですから、「エルサレムの民は、どうせ主(ヤハウェ)に従わないから、遠くの異邦人に伝道をするのだ」との意味にとられます。
しかも、主(ヤハウェ)の言葉だとの主張に、エルサレムの人々は怒りを隠せなかったと思われます。