1.四千人の給食
『 8:1 そのころ、また群衆が大勢いて、何も食べる物がなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。8:2 「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。』
イエス様は、五千人の給食と同じように、群衆に食べ物を与える「しるし」を示します。今回は、イエス様ご自身から「しるし」を示そうとします。イエス様は、「かわいそうだ」と言いました。そして、「もう三日もわたしと一緒にいる」とあります。群衆は、イエス様のみわざを見たり、またイエス様の教えを聞くためにいっしょに居続けたのです。そもそも、3日もたてば、持参した食べ物は無くなるでしょうし、人里離れた場所ですからお店で買ってくることもできません。それでも、群衆はイエス様の教えを聞きたくて、解散しなかったのです。
前回のしるしでも、人里離れた場所でした。また、弟子たちは、群衆に食べさせるほどの多くのパンを持っていないことも、同じです。
『8:5 イエスが「パンは幾つあるか」とお尋ねになると、弟子たちは、「七つあります」と言った。』
前の「しるし」では、パンは5つでした。
『8:6 そこで、イエスは地面に座るように群衆に命じ、七つのパンを取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、人々に配るようにと弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。』
前の「しるし」では、イエス様は祝福をしました。今回は、感謝の祈りです。そして前回と同じく、イエス様は、弟子たちに配らせました。この「しるし」を、弟子たちに見せるのではなく、体験させたのです。
『8:8 人々は食べて満腹したが、残ったパンの屑を集めると、七籠になった。8:9 およそ四千人の人がいた。イエスは彼らを解散させられた。』
前回のしるしでは、12籠。今回は7籠。千人当たりでは、2.4籠と1.75籠。元のパン1個あたりでは、2.4籠と1籠。この差が、ありました。
群衆が満腹になった後、イエス様はすぐに彼らを解散させました。解散したのは、パンを食べて満足したからです。み言葉を3日聞いても、満足して帰ることがなかった群衆が、パンでおなかを満たすと、帰っていったのです。(ある意味、群衆はしるしを待っていたということでしょう)
2.しるし
『8:11 ファリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論をしかけた。』
ガリラヤ湖の周辺から、ダルマルタ(マタイでは、マガダン/場所は不明)地方に行くと、ファリサイ派の人々がいました。彼らは「天からのしるし」を求めます。彼らによると、イエス様の行われていた「しるし」は、みな地上での出来事です。人をいやしたり、悪霊を追い出されるのは、みな地上のこととして、「天からのしるし」ではないと考えました。だから、イエス様が悪魔の力によって「しるし」を示している、と彼らは主張したのです。つまり、ばかばかしいことでありますが、多くの「しるし」を見ていながら、さらに「天からのしるし」を 彼らは、求めています。これほど多くの「しるし」が示されているのにです。たった今も、4千人の食べ物を配った「しるし」もあったばかりです。しかし、それでも有無を言わさないほどの終末の時のような「天からのしるし」を示せと 試そうとしていたわけです。
『8:12 イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」』
「決してしるしはあたえられてはならない」(εἰ δοθήσεται σημεῖον)は、慣用句の形で、否定+「しるし」+与えられる です。断言と言うよりは、神様に誓って「しるし」は与えられないと言っているのです。つまり、ここでイエス様の言っている「しるし」は、ファリサイ派の人々の言う「天からのしるし」のことです。この時代に絶対示されない「天からのしるし」を求め、それを見るまでは信じないとファリサイ派の人々は言うのです。そうであれば、裁きの日に「しるし」が示されてからしか信じないので、示されたときはファリサイ派の人々が裁かれる時となってしまうでしょう。
イエス様は、人々が信仰を持つように「しるし」を示しました。多くの人をいやし、悪霊を追い出しました。それは、人々がイエス様を信じるようになるためでした。信仰とは、いわば、信頼関係です。自ら進んでイエス様に近づき、イエス様に信頼を置くことを指します。そういったイエス様に信頼を置く人々が、「しるし」を受け取れるのです。イエス様の「しるし」は、そのイエス様を信じる信仰によって起こされているからです。