1.ヨナの詩
もともと、この2章は1節と11節しかない との説があります。つまり間のヨナの心情を語った詩は、後日誰かが書き加えたということです。
このヨナの詩を見ると、神様に逆らって遠くに逃げ出そうとしたヨナを神様は、追ってきました。そして嵐を引き起こした挙句に、巨大な魚にヨナを飲み込ませます。ヨナはその魚の腹の中で三日三晩祈ったわけです。
ここでは、神様によって救われた感謝と、命令への服従を誓って歌っています。しかし、ニネべの町の人々が悔い改めた後のヨナの懐疑的な態度を見ると、真にこの時神様への服従を誓ったとは言いきれないところがあります。ヨナは、神様のなさる御業には不満が残っていたと言えます。
2.ヨナを救った神様
『 2:1 さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。2:2 ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、2:3 言った。』
ここで示しているのは、神様は巨大な魚を使ってヨナを救ったことです。ヨナは、御言葉に背き、罪を犯しました。神様の審判が下ったのでしょう。嵐がやって来て、ヨナは船から海に放り投げられてしまいました。しかし、神様は預言者を救うために、巨大な魚のおなかの中で保護します。そして、三日の後再び陸地に吐き出させました。
この物語の中心は、神様の驚くべき救いにあります。重大なのは、神様がご自身に逆らうものを裁き、そして命の危険まで晒しておきながら、この罪人であるヨナを救ったこと。そして、またヨナに、再び召命を与えたことです。
『2:11 主が命じられると、魚はヨナを陸地に吐き出した。』
ヨナは、再び神様の命令によって、陸地に戻されます。ヨナはこうして、自分が逃れようとした道に連れ戻されました。しかし、ヨナは、自分が死ななかったことに喜び、神様に祈ったことは事実ですが、神様の計画の下にあることに気づかされ、反省して祈っているとは読めません。むしろ、救いを体験した者の祈りとなっているので、「巨大な魚」のおなかの中に「三日三晩」いた時の祈りとしては、場違いな詩となっています。もし、まだ救われていない魚のおなかでの祈りなら、悔い改めと助けを求める祈りなはずです。従って、ヨナの祈りを神様が聞き届けたので、ヨナは救われたと見るのではなく、神様の恵みによって救われたと考えるべきだと思われます。
3.ピノキオとヨナ
ピノキオは、1940年2月7日に公開されたウォルト・ディズニー・プロダクションによる長編アニメーション映画。原作はカルロ・コッローディ作の童話『ピノッキオの冒険』。
人が巨大な魚に飲み込まれる設定は、ヨナの物語が元ネタになっていると思われます。しかも、このアニメには、キリスト教的な世界が広がっています。
・「三位一体」:父=ゼベットじいさん(創造者、放蕩している息子を待ち続ける父)
子=妖精(奇蹟を行い、命を与える。聖霊を与える。)
聖霊=ピノキオの良心であるジミニー・クリケット。
・ピノキオや町の不良少年たちがロバに変身させられるシーン。
「罪」と裁きを象徴しています。
・「回心、贖罪」: ピノキオがジミニーと一緒に父であるゼベットじいさんを捜し求め、助け出します。
・「復活、新生」は、死んでしまったピノキオが、人間の子として新しい命をいただき、甦ります。