イエス様の伝道の開始の様子が書かれています。少し、どんな様子だったのかを当時の生活の姿を通して読んでみると良いと思います。
1.弟子たちとの出会い
ペトロとその兄弟アンデレが、網を打っていました。(投網と地引網と刺し網が当時のガリラヤ湖で使われていました。打つは、原語では「投げる」が使われていますので投網です。)
いきなりの、弟子募集でした。いきなり声をかける理由は? そして、ついていく理由は? と 疑問は尽きません。例えば、商売道具である網と舟を置いていくということ。それでは、食べることについて、不安が起こるはずです。それなのに イエス様についていく弟子たち。まだ、弟子たちは、イエス様を十分に信じてのことだったのでしょうか?・・・
ルカによる福音書では、この記事に「しるし」を加えています。一晩中網を打ってもとれなかったのに、イエス様に従って網を入れると捕れたという事をです。(ヨハネでは、復活のイエス様の「しるし」として、巻末に「捕れなかった魚が捕れた」記事の追加あり。)
これらを考えると、伝道を開始したイエス様と出会ったペトロとアンデレが、イエス様の言うとおりに網を打ったら、捕れたと言うことが 起こされていたと考えるのが自然だと思われます。さらに、ヤコブとヨハネは、とっくに漁をあきらめて、舟の中で網の手入れ(刺し網と思われます)をしていた時に、ペトロとアンデレの網に魚が入ったところを見たのかもしれません。刺し網でも魚が捕れないのに、投網で捕れた驚きがあったからこそ、弟子たちはイエス様についていったと考えてもよさそうです。
2.ガリラヤの生活レベル
そもそも、貧しいカファルナウムあたりでの出来事です。かつてはイスラエルの民が入植しましたが、アッシリアに捕囚された地域です。当時は、ガリラヤ領主ヘロデアンティパスが領主をしています。そもそも、ヘロデの王家は民からの搾取がひどいので、民衆は貧しかったのです。 イエス様が伝道している姿を考えると、下着は2枚持たない等 みすぼらしい格好です。伝道してい行く先々の好意によって、日々の糧を得ていました。そこには、あまりギャップが無かったことは、十分に考えられます。そうでなければ、貧しい漁師がイエス様についていくのでしょうか?
3.諸会堂で教える
デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来たとあります。デカポリスは、ローマの町を模して、ヘロデ大王が作った町。ヨルダン川の向こう(シリア)と並んで、異邦人の町でした。(デカポリスは、ガリラヤ湖の東側にあった10の町です。10=デカ、町=ポリス)
イエス様は、ユダヤ教の教師としてシナゴークで教えていました。また、福音を宣べ伝え、様々な病気をいやされました。そして、大勢がイエス様に「従い」ました。
従ったとは? 弟子になったのか? ついて歩いただけなのか? よくわかりません。そこで、原語をみると、「極めて大きい群衆となって ついてきた。」 という訳ができると思います。
諸会堂で教えて、大きい群衆となることに矛盾を感じる人もいると思います。諸会堂に集まっていた人が出てきても、大きい群衆にはなり得ないからです。ここは、あまり考え込むことを止めて、その場その場で、結構 人が集まったとだけの理解でよさそうと思いました。イエス様について来る人々が多い。つまり、イエス様にその「しるし」を見出した人が大勢いたということでしょう。
※生活感のなさ
食事の心配、家族への心配、寝るところの心配等が、記事にないので、生活感がありません。すぐに従って来たことが強調され過ぎて、どうしてついて行きたいと思うのか?どうしてついていけるのか?残された家族はどうするのか?結婚するつもりはないのか? これらの心配を乗り超える期待とは何だったのだろうか? と どうしても考えてしまいます。
イエス様の「癒し」も、どれだけ困っていたのか、祈っていた等の記載が無く、淡々と進みます。著者は、一つ一つの「しるし」の説明を放棄しているように見えます。著者は、すべてを描く必要はないと考えていたのでしょうか。たくさんの「しるし」全部をとりあげるのではなく、福音書に取り上げている「しるし」で十分との考えではないかと思われます。福音書は、伝記物語ではないので、すべての事実を並べる必要があるわけではありません。読み手によく届くように「しるし」を厳選したがゆえに、その厳選から漏れた「しるし」は説明があまりないまま、物語が淡々と進められていると・・・蛇足でした。