1.災い
イスラエルは神様の羊の群れであり、ひとり一人の人間は、神様の羊です。その群れを、牧者が、滅ぼし、ばらばらに散らしている、というのです。「牧者」とは、人々を導く国の指導者たち、王様や祭司たちのことです。さらに厳しい言葉が重ねられています
『あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する』
ここに使われている言葉は、非常に厳しいです。歴史的には、ユダ王国は400年の繁栄を誇っていました。幾度も周囲の国々からの脅威にさらされながらも、この国の牧者たちは、国力を維持し、独立を保ち、エルサレム神殿はじめ、宗教、政治の整備に力を注いできていました。ところが神様は「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった」と言われています。何が間違っていたのか、国を豊かにしたはずが、外国人が目を見張るほどの神殿を立てたはずが、神様は罰するとまで言います。
羊は群れを作って生きる動物です。ひとりでは生きられません。互いに支え合って、寄り添いながら生きます。しかし羊の群れには、牧者が必要です。世話をし、草や水のある所へ導き、安全と安心を作り出すためです。牧者がいないと、生きてゆけません。だから牧者は、羊の安全と安心のために、いつも羊の方を向いて、羊を見守り、その様子を見ていることが務めです。
しかし羊から目を離して、羊の様子を気に留めず、よそ見をしていたら、群れはどうなるでしょうか。群れは散り、ばらばらになって、餌食になってしまいます。その様に、ユダ王国(神の羊の群れ)は、崩壊します。それが「バビロン捕囚」の出来事です。牧者が見るべきものは、羊の群れの中の、羊たち、そしてその羊たちの生命です。ひとつの命のために、見守り、世話をすることが、牧者の務めだったのに、牧者は、それをなおざりにしたのです。
2.時代背景と救いの預言
エレミヤはメシヤを待望しました。イスラエルの王たちは民のために働かず、そのため民は散らされたと非難されています。イスラエルはダビデ・ソロモンの時代に王国の繁栄期を迎えますが、ソロモンの死後、王国は南北に分裂し、北王国イスラエルはアッシリヤの侵略を受けて滅ぼされます。南王国ユダは何とか危機を脱しますが、アッシリヤに代わる新バビロニヤ帝国が地中海地域の覇権を握ると、バビロニヤは南王国に対して貢物を要求します。ヨシヤ王の子エホヤキムの時、ユダ王国はバビロニヤへの従属を拒否したため、バビロニヤがエルサレムに攻めて来ました。エホヤキム王は攻防戦の中に死に、子のエホヤキンが新しい王になります。そしてエルサレムは陥落、エホヤキン王は高官たちと共にバビロンに捕虜として連行されます。紀元前598年、第一回バビロン捕囚です。その時、1万人の人が捕囚になったと聖書は伝えます。ただエルサレムそのものは破壊を免れ、バビロニヤは新しいユダの王として、エホヤキンの叔父ゼデキヤを立てます。
ゼデキヤ王は当初こそバビロニヤに忠誠を尽くす振りをしますが、やがてエジプトの支援を得て反乱を企て、エルサレムはバビロニヤによって再度包囲されます。エレミヤ23章は、この時に預言されたものと言われています。相次ぐ戦乱の中で国民は疲弊しているのに、王たちは自分たちの宮殿を増築したり、戦費調達のために新たな税を課したりしています。その悪政が国を衰退させ、民は困窮しました。「神様はこのような不法を放置しない」とエレミヤは預言します。「王は民を養うために立てられているのに、あなたがたは自分を養うばかりで、民のことを気にもかけないではないか。だから私はバビロニヤを用いてあなたたちを倒す」とエレミヤは伝えます。
この預言はBC586年に成就します。列王記下は記述します。『25:6 王は捕らえられ、リブラにいるバビロンの王のもとに連れて行かれ、裁きを受けた。~25:8 第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァルの第十九年のこと、バビロンの王の家臣、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、25:9 主の神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った。大いなる家屋もすべて、火を放って焼き払った。』
王は目の前で自分の子供たちを殺され、自身も目をくりぬかれて捕虜となり、エルサレムの神殿も王宮も火の海になりました。町は廃墟となり、人々は呆然自失してその光景を見詰めています。その中にエレミヤもいました。
エレミヤは国の滅亡を「神の裁き」と受け止めています。しかし神様は、イスラエルを滅ぼすために裁いたのではない、神様はイスラエルが悔い改めて立ち戻るために裁いた とエレミヤは預言します。
『このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。~』
神様は、エッサイの根からでるタビデの「末裔」から新しい牧者を立てられる、その方こそメシヤだとエレミヤは言います。
『 23:5 見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え/この国に正義と恵みの業を行う。 23:6 彼の代にユダは救われ/イスラエルは安らかに住む。彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。』
神様は民を省みることをしなかったダビデ王家を倒しましたが、ダビデの末裔によって、イスラエルは再び平安を与えられる。エレミヤはこの将来の救いを預言したのです。