1.神様が求められること
『10:12 イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。~』
もともとイスラエルの民は、エジプトの地において、奴隷でした。という状態におかれていたのです。出エジプト記を見ますと、イスラエルの民は、過重な労働を強いられ、日々の命、その生活も保証されない中にありました。また、そのような状況にあっても、人口が増えていくイスラエルの民に対して、エジプトの王、ファラオは、「男の子がうまれたなら、殺しなさい」という命令を出したのでした。そのような民族の危機にあって、神様はイスラエルを顧みて下さり、エジプトから脱出させたのです。それは、奴隷からの解放、救いの出来事でした。しかし、エジプトを脱出したイスラエルの民、奴隷から解放されたはずの人々は、救い出してくださった神様の恵みを忘れ、「エジプトにいたほうがまだよかった」とまで言うようになっていきます。そして、このイスラエルの民は神様を裏切る大きな出来事を起こしました。モーセを介して神様が十戒を授けている間に、イスラエルの民は神様を忘れ、金の子牛を作り、その金の子牛を神として祭ってしまったのです。それを知ったモーセは神様から授かった十戒の書かれた石の板を割ってしまいます。このような頑なな、イスラエルの民ですが、この10章1節からはじまって、モーセによって砕かれた十戒を、もう一度神様が授けてくださることになります。
そのうえで、「主がイスラエルにに求めていること」を考えてみましょう。聖書は続けます。
『ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、10:13 わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか。』
ここでは、主を畏れること、愛すること、仕えること、そして戒めと掟を守るように教えています。そのうえで、何よりも神様が求めていることは、「あなたが幸いを得ること」です。これが目的だと言うのです。 神様の求めているのは、私たち人間が幸せに生きることです。ここでは、ただ神様の戒めを守ることでも、ただ、神様を畏れること、仕えること、神様を愛することは手段であって、神様はそれらを通して、「あなたが幸せになること」を教えます。つまり、神様の愛を頂き、「自分は愛されている」「生きる意味を持っている」「私は必要とされている」と知って、生きることを神様は願っているのです。そして、そのために、「律法を守りましょう」と教えているのです。神様は、戒めを守ることで、神様の愛を得るのではなく、愛を得た者として、戒めを守ることを求めているのです。
2.私たちが求めているもの
では、神様が私たちの幸せを求められている中で、私たちは何を求めているのでしょうか?。イスラエルの民は、神様の幸せ、神様の思いを考えようとはせず、頑なに生き続けたのです。
『10:14 見よ、天とその天の天も、地と地にあるすべてのものも、あなたの神、主のものである。10:15 主はあなたの先祖に心引かれて彼らを愛し、子孫であるあなたたちをすべての民の中から選んで、今日のようにしてくださった。』
私たちが生きるこの社会には、支配する者がおり、支配される者がいます。財力か、権威か、武力か、社会的圧力。そのようなものに支配されている時もあれば、または、自分がそのようなものを持って、人を支配している時もあります。どちらにしても、自分の立場が違うだけで、価値観は同じです。そしてその価値観に支配されています。 聖書が教えているのは、神様は私たち人間が幸せになることを心から求めているということです。そして、神様は、すべての人間を心から愛しているのです。このことを示されたのが、イエス・キリストです。神様は、イエス・キリストを、この世界に送り、私たちと同じ人間となり、共に生きて、死に、そしてよみがえられたという出来事を通して、その愛を示されたのです。
3.神様が選んだ者
『10:15 主はあなたの先祖に心引かれて彼らを愛し、子孫であるあなたたちをすべての民の中から選んで、今日のようにしてくださった。』
神様は、イスラエルノ民の先祖に心引かれて、愛し、選んだとあります。このイスラエルの民を選んだ理由。それは、このイスラエルの民が、特別、純粋であったからでも、神様に従っていたからでもありません。むしろ、イスラエルの民は頑なで、神様の思いを無視し、生きていたのです。では、なぜ神様が彼らを選んだのか。それは「奴隷」であったからと言うことができるのです。イスラエルは、エジプトという大国に支配されていました。また別の時代はアッシリア、バビロニアといった大国に支配され続けました、小さく弱い民だったのです。神様はそのような者に目を留めたのです。これが神様の選びです。
4.弱い者として、弱い者を愛していく
神様は、「心を頑なにせず、あなたがたも弱い者を愛しなさい」(10:16)と言います。『孤児』『寡婦』『寄留者』といった、弱い立場の者を愛しなさい と教えているのです。これが、神様の価値観です。お互いを愛し、慈しみ、お互いの存在を喜ぶ価値観を教えているのです。私たちは今、自分が誰を愛し、何を大切にしているのか、もう一度考えていきたいと思います「自分」でしょうか。「自分の持つ財産や権力」でしょうか。「友人」や「家族」でしょうか。神様は、ここで教えているのは、「あなたにとって、何もすることのできないような人、あなたにとって、むしろ迷惑になるような人、あなたが、差別し、必要ではないと思うような人・・・そのような人を愛しなさい」と、言うことです。