「それは、あなたが言っていることです」: σὺ λέγεις (スー レゲイス)
σὺ :名詞 あなた。二人称単数の人称代名詞。 汝。
Λέγεις :動詞 2人称単数形 言う、話す;つまり、言及し、伝える。
この訳は、直訳であります。聖書によっては「それは、わたしです」となっています。
マルコ『14:61 しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。14:62 イエスは言われた。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に囲まれて来るのを見る。」』
大祭司の尋問には、そうです(エゴー エイミ:ἐγώ εἰμι:I am)と答えていたばかりですから、「あなたが言う通りです」という意訳の方があっていると思われます。
1.沈黙の意味
この箇所では、イエス様はほとんど語りません。
『15:1 夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。』
ローマの政治は、午前で終わります。つまり、祭司長たちにとって、「過ぎ越し」前に片を付けるためには、朝一番での訴えと午前中の裁判の結審が必要だったわけです。周到に、偽証をする者を準備し、またピラト周辺の人物への根回しを確認したものと思われます。ピラトに訴えるということは、死罪を求めることと同じ意味です。本来は、神様への冒涜という罪にしたかったはずですが、それはローマで死罪になるような罪ではありません。そこで、「ローマへの反逆を企てた」とのストーリー作りが必要だったわけです。そこで、考えられたのが、「ユダヤ人の王」だったわけです。ユダヤ人の王と名乗るならば、それはローマへの反逆と見られます。ただ、名乗っただけでは「死刑」に当たるとは言えません。となると、「群衆をあおって、反乱を起こそうとしていた」等の証拠が必要です。しかし、イエス様の言行はそのようなものではありませんでしたから、偽証をするしかないわけです。
『15:2 ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。』
ピラトは、「お前がユダヤ人の王なのか」と問いました。祭司長たちが、イエス様は 「ユダヤ人の王」と名乗り、ローマの支配を否定している反逆者だと訴えたからです。ピラトはそのユダヤ人の魂胆を知っていて、「お前はそれでもユダヤ人の王だなどと言うつもりか」という皮肉交じりの尋問をしています。主イエスは、ここでただ、「それは、あなたが言っていることです」と答えています。直訳すれば「それは、あなたが言うことです」。 裁判をしてピラトが判決を出せばよいだけのこと。そういう主張だと読み取ることができます。また、冒頭に書いた通り「それは、わたしです」と意訳するならば、自然な受け答えであります。
『15:3 そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。15:4 ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」15:5 しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。』
ここで、マルコは、訴えの内容などは書き残していません。たぶん、ある事ない事を訴えただけではなく、たぶんたくさんの誹謗中傷があったのだと思われます。普通なら、激しく反論するゆな誹謗中傷を受けながら、黙っているイエス様を見て、ピラトもたまらずにイエス様に声を掛けます。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」
ピラトはこのことを不思議に思いました。ピラトには、イエス様が法に触れるようなことは何もしていない、イエス様が訴えられたのはユダヤ人たちの妬みのためだ と分かっていたのです。そして、イエス様の沈黙が、かえってピラトを困らせました。死罪か、無罪か? を決めなければならないのに、訴えに対する反論がありません。事実ではないとイエス様が反論すれば、罪は問えません。それでも、訴えた側がそれでは不服だと言うならば、その訴えの証拠を出させる。つまり、裁判は後日にすることができます。また、そのままイエス様が認めるならば、反逆罪として死刑にするだけです。どちらにしても困りはしません。ところが、イエス様は黙っています。これでは、ピラトが客観的な根拠なしに裁くしかなくなってしまいます。・・・そして、ユダヤ人に不人気のピラトですから、その総督としての立場も揺らいでします。ピラトは、イエス様の沈黙によって、追い詰められてしまいました。
2.もし、反論していたら
もし尋問の中で、イエス様が沈黙しなかったら、どうなっていたでしょうか?
沈黙せずに、12、13章でイエス様が、祭司長、律法学者、長老たちを打ち負かすほどの答えをしていました。その結果、問答では勝てないと思ったのでしょう。作戦を考え直したようです。
『12:12 彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。』
このように、知恵をもって祭司長たちに対抗したときのように、イエス様はピラトの尋問に対応することは出来たはずと覆います。そうしたならば、ピラトはイエス様に無罪を言い渡していたでしょう。それではイエス様の十字架の出来事が 存在しなくなってしまいます。イエス様がピラトの尋問の中で沈黙する理由は、こんなところにあったのです。
イエス様は、自分一人でわたしたちの罪を背負うことを受け入れていました。私たちの身代わりとなって、ご自分が十字架に架かるのです。その決意があったので、沈黙を守ったのです。この期に及んで祭司長たちを言い負かす必要もありません。すべてを父なる神様にお委ねしていたのです。