1.ケバル川で見た幻
エゼキエル『1:3 カルデアの地ケバル川の河畔で、主の言葉が祭司ブジの子エゼキエルに臨み、また、主の御手が彼の上に臨んだ。1:4 わたしが見ていると、北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないか。その中、つまりその火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。・・・』
これが、エゼキエルがバビロン捕囚の始まったときに、エゼキエルが主の使いによって見せられた幻です。(詳しくは1章全体を読んでください)エゼキエルが、「彼が町を滅ぼすために来たとき、わたしが見た幻と同じ」と言っています。それは、神様ご自身の姿であります。神様は東からやって来るのです。
太陽を拝み、異教の神を礼拝するので、神様はエルサレムを滅ぼし、そしてエルサレムから去ってしまいました。しかし今、神様が東の方から戻ってこられ、東向きの門から入ってこようとされています。神殿に入った神様は、エゼキエルを中庭に導き入れ、傍らに立たれたのです。この幻は、神様が再び来られることを示しています。
2.王座のあるべき場所
今のエルサレムの城壁にある東の門は閉められています。閉められていると言うよりも、壁を作って通れなくしてあります。この門を「黄金門」と言いますが、それはこの預言を意識してのことだと言われています。
黄金門はユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって大事な門です。何故なら、この門は「救い主が通る門」と言われているからです。 イエス様が地上で活動していたころは、黄金門は開いていて、イエス様はこの門を通ってエルサレムに入りました。救い主はロバに乗って現れるという伝説の通り、イエス様も敢えてロバに乗って入場したことはご存じでしょう。 黄金門はその後もしばらく開いていたようですが、約500年前に閉ざされてしまいました。次に黄金門が開く時、救い主が現れる。そして、本当の平和が訪れる。と言うのは、願望から出たことだけではなく、このエゼキエル書の預言に根拠があります。
また、この門の下にはイスラム教の墓地があって、その救い主が現れるのを阻止するための様です。現代に残るのは、当時のソロモンの神殿ではなくバビロンから帰還した後に第二神殿がたてられ、それをヘロデ大王が大幅に改修した神殿です。それもローマとの戦争により、崩壊してしまい。現在は、イスラム教のモスクが建っています。
この現在の神殿跡の状況は、エゼキエル書で預言されていたかのようです。黄金門には壁が造られ、そして忌まわしいものが造られたと幻を見たからです。また、そこに死体を遠ざけよとの幻も、現在の神殿の実情を表しています。しかしそれでも、この現実的に厳しいエルサレムの地に再び戻って来ることを神様は宣言されているのです。
3 不義の除去
エルサレムの神殿と町を破壊に導いた神様は、これを回復なさいます。このエゼキエルが見た幻の目的は、神様の意思を表します。民らが二度と、汚れた行い(異教の神を礼拝すること)をしないためです。
エゼキエルは、神殿の在り方を神様から示されます。今までイスラエルの民がやってきたことは、正しくなく、そのあるべき姿をしめすことによって、民がその悪さがわかるためです。すでに、民は神殿の最初がどうだったのかを知らなくなって久しいのです。長い間、異教の礼拝が神殿の中で行われ、律法も失われていたのです。ですから、イスラエルの民が、その悪さを理解し、恥じたならば、神殿の計画と施工をさせるようにと神様は命じられました。
この完全な神殿の姿を見る時がくれば、イスラエルの民たちは自分の汚れを恥じるでしょう。なんでこんな恥ずかしいことを行なったのだろう、と後悔するはずです。そして、エルサレムに神様が戻って来て永遠におられるときがやってきます。それがイエス様の再臨の時なのです。神殿の律法は、その時のために神様がエゼキエルを通して、イスラエルの民に下さったものです。