この手紙は、ローマで緩やかに監禁されているパウロを訪問したフィリピのエパフロディトが、パウロから受け取って、フィリピの信徒に届けたものだと思われます。
フィリピ『4:18 わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。』
1.監禁されたことが役にたった?
『1:12 兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。』
フィリピの信徒たちは、パウロを励まそうとエパフロディトを送りました。ところが励まされたのはフィリピの信徒たちの方でした。
『1:13 つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、1:14 主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。』
パウロは、自分を監禁する兵たちに福音を宣べ伝えました。兵たちは、交代で番をしたので多くの兵たちに福音を伝えることができたのです。それで兵営全体で、パウロのこととパウロが語っているキリストのことが評判になったのです。
2.伝道の動機
パウロは、福音のために監禁されています。だから、パウロが伝道できない分、伝道しよう!と立ち上がった人々もいました。一方で、ねたみと争いで、自分の利益を求めて、獄中にいるパウロを苦しめようという動機で伝道した人もいました。本当にそんな人たちがいるのか?とは思ってしまいます。キリスト教の初期のころから派閥争いがあったのは確かなようです。そして、パウロには教会内でも敵が多かった。反パウロ派は、パウロが獄中にいて伝道できないことを「いまがチャンスだ!」と伝道したわけです。非常に嘆かわしいことでした。ところが、パウロは全然気にしていません。それどころか、どんな動機であれ、キリストが告げ知らされていることは良いことだ! と喜んでいたのです。
『1:19 というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。1:20 そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。』
パウロはフィリピの信徒たちの祈りと聖霊の助けによって支えられていました。パウロの監禁はパウロの救いとなるものだったのです。救いというのは、釈放とか解放ということではありません。有罪となって処刑されても、そこで公然と証しをすれば、良いことだ!、と考えていたわけです。死もまた古い肉体からの解放であり、天国での栄冠を手にすることなのです。死を恐れずに皇帝に福音を伝えようとするパウロの姿は神に喜ばれます。それがパウロの祈りでした。生き死にはパウロにとって祈りの課題ではなく、キリスト者にとって「死ぬことは利益なのです」とまで言い切っています。
3.ふさわしい生活
パウロがこの後どうなろうと、フィリピの信徒たちは「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活」を送らなければならないとパウロは語ります。福音を信じる信仰には、ふさわしい生活が伴わなければならないのです。ここでいう「生活」とは、教会生活をさします。福音にふさわしい教会生活とはどんな生活でしょうか?第一に、聖霊によって一致した生活です。教会が聖霊によって導かれるためには、教会の中で喜びにあふれて賛美や祈りを行うことが欠かせません。第二に、福音のために戦う生活。この戦いというのは、迫害に耐える戦いです。そもそも、キリストを信じることも自分だけでできることではありません。だからキリストのために苦しむことは神様から与えられる恵みなのです。