フィリピ1:12-30

 霊によって立つ

2020年 10月 18日 主日礼拝

『霊によって立つ』

聖書 フィリピの信徒への手紙1:12-30


 『フィリピの信徒への手紙』の著者はパウロです。古代以来、現代の聖書学者にいたるまで、パウロが書いたものとして広く受け入れられています。伝承によりますと、パウロがこの手紙を書いたのは紀元61年の終わりから62年のはじめにかけてであり、その時パウロは、ローマの牢獄の中にいました。

 

 パウロがこの手紙を書いたとき、ローマ皇帝のもとに牢獄の中で拘束されていましたが、パウロの周囲ではかなり自由と言いますか、大々的に宣教活動が出来ていたようです。その証拠が、このフィリピの信徒への手紙にあります。

『4:22すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちからよろしくとのことです。』

 パウロは、この手紙の結びで、皇帝の家の信徒たちからのフィリピの信徒たちへの挨拶を書いているのです。こうしたところから、パウロがローマで囚われの身でありながら、皇帝の家族に伝道していたことがわかります。そういう状況なので、牢獄の中でどうやって手紙を書いて、そしてフィリピの教会にどうやって送ったのか等は、考えるまでもありません。パウロのいる牢獄の周りには、パウロが伝道した、パウロを助ける信徒がたくさんいたのです。

 

 『使徒言行録』によればフィリピの教会はヨーロッパで最初にできたキリスト者の共同体です。しかも、パウロの宣教に由来するものでした。

使徒言行録『16:11 わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、16:12 そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。16:13 安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。16:14 ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。16:15 そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。』

 

 使徒言行録に書かれている経緯から、パウロはフィリピの共同体に非常に強い愛着を抱いていたことがうかがえます。フィリピの信徒の方も、パウロに特別の思いがあったと思われます。フィリピの教会は、パウロの教えに反対する声が上がっている中にあっても、パウロを支援し続けていたのです。そういう、フィリピの信徒たちの寛大さに、パウロは励まされていたのです。フィリピ4:15~18に詳しく書かれています。

フィリピ『4:15 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。4:16 また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。4:17 贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。4:18 わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。』

(エパフロディト(Ἐπαφρόδιτος, ου, ὁ)は、ギリシャの女神 アフロディーテのような美男の意味。フィリピの信徒の名前


 この箇所からみると、パウロのマケドニア宣教では、フィリピの信徒たちの惜しみない協力ぶりは際立っています。フィリピの信徒たちは決して裕福ではなかったのですが、パウロの伝道を支えていました。そして、遣わされたエパフロディトは獄中にいるパウロの活動のために、献金を持参したのです。フィリピの教会は熱心にパウロを支援していました。

 

 パウロは、このフィリピの信徒への手紙の中で、ローマでの伝道の様子を書いています。パウロにとって囚われの身にあることは福音伝道の妨げになりませんでした。むしろ情熱を燃え立たせることになったのでしょう。パウロを監視していたローマ兵たちだけではなく、ローマのすべての人に「パウロがキリストのために監禁されている」ことが知れ渡ったこと。そして、いろいろなことが起こされました。多くのパウロにつながる者が、恐れることなくますます勇敢に、み言葉を語ったのは言うまでもありません。そして、パウロに反対する者も「その不純な動機」<たぶん、パウロの地位にとって代わるという欲望なのでしょう>からキリストを告げ知らせました。パウロは、不純な動機の伝道であることを知っていても、「とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、私はそれを喜んでいます」と語ります。結果が、キリストが告げ知らせることになるのであれば、それで「良し」としたのです。パウロに反対する人達は、どんな人達なのか、どんなことを教えていたのかまでは、今現在それを知ることはできません。一方で、キリスト教の本流と言える教えもまだよく広まっていませんでした。パウロが活躍して各地の教会に書簡を送っていたころには、まだ福音書ができていなかったからです。つまり、当時は新約聖書がなかったのです。ですから、パウロは書簡を送るという手段を使って、各地の教会にイエス様のことを伝えていました。一方で、パウロに反対するような人たちも、パウロと異なる教えを広げようとしました。しかし、残ったのはパウロの教えの方でした。

 

 少し余談になりますが、パウロの時代の文書は、大事な物はパピルスではなく羊皮紙を使い始めていました。パピルスは、乾燥した気候の場所以外では、長持ちしなかったからです。羊皮紙とは、羊の白い皮を使ったもので、パピルスと違った特徴がありました。裏にも文字が書けたことと、字を消して再利用ができた事です。そして、長持ちさせたい本、つまり聖書などの聖典は羊皮紙に書かれるようになったのです。新約聖書等の当時の写本は、羊皮紙に書かれています。そういうわけで、羊皮紙に書かれた本は再利用ができるために、他の文書に書き替えられて、失われている可能性があります。

 現在にはパウロの手紙は、聖書となって伝えられています。例えば、4世紀に編集されたバチカン写本は、羊皮紙に大文字だけで書かれたものです。パウロの時代から約300年たっていますので、その間にパウロに反対した勢力は淘汰され、パウロの書簡が聖書として採用されたのだと考えて良いでしょう。そして、パウロに反対する人々の記憶は、羊皮紙から消されていったのかもしれません。

 また、こうも言えます。パウロに反対する人々がいたからこそ、パウロはイエス様の教えを書簡にまとめて、各教会に配る努力が必要だったのです。と、言うのは、キリスト教に聖典が無いことで困っているのは、パウロ自身であり、また、各地の教会の信徒たちだったからです。

 

 パウロは、その教えを書簡に書き留めながら、これからのパウロ自身の働きについて迷っています。それは、一言でいうと、パウロが死ぬべきなのか、生きるべきなのかです。

今日の箇所にも、その板挟みの状態が、このように書かれています。

『1:23一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。1:24 だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。』

死んで、キリストと共にいることと、生きて、伝道を続けるのとどちらとも決め切れていないのです。しかし、どちらを選ぶとも決め切れていないながら、パウロ自身の将来については心配していません。むしろ心配したのは、フィリピの信徒たちのことでした。もし、パウロが殉教したときのことを考えて、そして、パウロがフィリピの教会に戻ることを考えて、フィリピの信徒たちに、おすすめをしたのです。

 

 パウロがフィリピ教会に努力して欲しいことは、キリストによる一致ということでした。一つの霊によってしっかり立ち教会生活、信仰生活を送ってほしい、心を合わせて福音の信仰のために共に戦って欲しいというのです。

 フィリピ教会は、コリント教会のように不道徳の問題もなかったし、ガラテヤ教会のように、異端に左右される教会ではありませんでした。むしろ献身的で、献金も多く捧げて、パウロの宣教活動を応援していました。パウロが殉教した場合のそのあとのことを考えて、一つの霊にしっかりと立って、心を合わせて信仰を守ってほしい、とパウロは願いました。しっかり立つというのは、今立っているという意味ではありません。揺さぶられても倒れないように、確実に立ち続ける準備ができているということです。

 確かにパウロに反対する人たちもいますから、フィリピの教会だけが例外と言うわけにはいきません。パウロに反対する者がフィリピに来れば、その時は強く影響を受けるでしょう。そこでパウロは、一つの霊にしっかりと立つように言います。一つの霊とは、イエス様のことです。イエス様のみ言葉の上にしっかり立っていれば、たとえ揺さぶられても、立ち続けることができます。そして、イエス様のみ言葉に立っていれば、心を合わせて福音の信仰のために共に戦うことができます。

 ところがです。

何を信じるべきか、だれの言うことに頼るべきかを考えてしまうのが私たち人間の性(さが)です。いろんな言葉を聞いては、ふらふらと流されてしまいがちです。そうなると、しっかり立つということにはなりません。

また逆に、イエス様のみ言葉にしっかり立つと言って、だれの言うことも聞かないのでは、危ういでしょう。イエス様のみ言葉は正しくても、私たちのみ言葉への読み解きは、必ずしも正しいとは言えないからです。

 

 ですから、私たちはイエス様のみ言葉を知るだけではなく、イエス様の霊と共にあるよう祈る必要があります。そうしないと、私たちはイエス様のみ言葉を使って人を裁いてしまうかもしれません。そうなってしまっては、「人を裁いてはいけない」といった道徳的な教えさえ、満足しないことになってしまいます。ですから、イエス様の霊と共にあるように祈る その手順なしには、イエス様のみ旨に沿うことは難しいでしょう。

その反対に、イエス様のみ言葉を受け入れ、イエス様の霊と共にあるように祈っていると、結果として豊かに恵みが与えられます。ですから、私たちの立つ場所は「道徳に代表される 人の考え」ではないのです。イエス様への信仰なのです。イエス様の霊と共にあることで、イエス様の愛の上に立つ、パウロはそこを言いたかったのだと思います。決して、自分自身の思いや周囲の人の思いの上に立つことではないのです。イエス様を信じてみ言葉に聞いて、祈る人こそが、イエス様の恵みの上にしっかり立てます。そうすることによってこそ、周囲の声を聴きながらも、イエス様のみ旨を実現できるのです。私たちの群れも、そのようなイエスさまの霊と共にあることを祈る群れになっていきましょう。