創世記11:1-9

バベルと呼ばれた町


1.全世界の人々

 全世界の人々は、ノアの3人の子たち(セム、ハム、ヤフェト)から生まれています。当時知られていた世界の東側にいたのは、セムです。(ハムはエジプト周辺、ヤフェトがヨーロッパ)当然兄弟ですから、同じ言葉を話していたと思われます。シンアルの地とは、バビロンにあるようです。人は増えていきますから、カインのように罪を犯す者が出てきます。また、カナンのように呪われた者もいたでしょう。そして偶像礼拝などの罪も広まっていたのです。


2.レンガ

 煉瓦が建築材料として使用されるようになったのはメソポタミア文明の時代からです。チグリス川、ユーフラテス川にわたる広大な範囲で煉瓦建築が発展していった。紀元前4000年からの約1000年間は、乾燥させただけの日干し煉瓦が使用されていました。紀元前3000年頃からは、焼成煉瓦が使用され始め、大型の建造物の外壁の仕上げに焼成煉瓦が使われています。バベルの塔の記事は、紀元前2100年より前とされていますので、焼成煉瓦がそれなりに普及していたと思われます。一般論として日干し煉瓦は、強度が低く、高い建築物には使えません。焼成した煉瓦は、強度が高いので、建築物は飛躍的に高く作られる様になった時期であります。

 強度の高い建材となった焼成煉瓦は、その成型のやりやすさと、積み上げ易さから石材にとって代わります。これまで、大きな建物の場合は、石を切り出し、整形して現地で現物合わせ後、漆喰で目地を埋めました。漆喰は石灰石から窯の中で炭を使って還元した消石灰からつくりますが、アスファルトは天然に存在します。大きさが最初から整っていて積みやすい煉瓦と、アスファルトを使えば、手間が大幅に少なくて済んだものと思われます。そして煉瓦の製作精度や強度に進歩があるたびに、より高い建物が建てられる様になったと想像できます。

 

3.天まで届く町を建て有名になろう

 『「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」』

 人は、高さ競争などは、大好きです。他の人々より優れていることを誇示したり、褒められることがその目的です。そして、その競争に参加し、負ける人々や参加もできない人々に対して無遠慮であるかもしれません。また、この高さへの挑戦は、神様への挑戦だとも言えます。バベルの塔を天まで届くように建てると言うことは、神様や、これに関わる多くの人々への配慮も必要です。それをせずに、建設を始めたならば、それは「やりたいほうだい」であり、「人であることを忘れた身の程知らず」であります。

 塔が天まで届くと言うことは、地上から天への移動手段を作ると言うことになります。ただ、高い建物を作るのであれば、そのようなことはありませんが、天につながる道を作ろうとするのは、人間の役割を超えてしまっています。それは、神様の仕事であるからです。一方で、高い塔を建てたとしても、天につながる道とはなりません。だったら、問題ないのではないかと思うかもしれませんが、人が神の役割を担おうとしたところに、悪、不信仰、そして自分自身を礼拝する態度があるのです。


4.神様の危惧

 『11:5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、11:6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。』

神様は、この民の様子を危惧します。なかでも、以下の3点が重要です。

① 人間社会の基盤を 神から手で作ったものに置き換えようとしている。

  神様の起こす洪水で水没しない塔。これは方便です。神様の裁きを受けないように、その第一歩なのであります。それは、神様への対抗の始りでもありました。

② 誤った野心

  天国に到達しようとして高い塔を建てる。それは、レンガとアスファルトで名声を得るためです。

  神以外に栄光を求めたもので、その野心に神様は祝福することはないでしょう。

③ 偽りの団結

  バベルの塔は団結をシンボライズします。しかし、それは彼らの欲望で一致したにすぎません。

「神をも凌駕した存在になる。」この目標を一部でも達成したときに、また新たな欲望と団結を生み出していくでしょう。一方で、欲望での団結ですから、少し不安材料を加えるだけで、その欲望から分裂が始まるでしょう。


5.言葉を混乱させる

 本心から助け合うために団結をしていたのではありませんでした。ですから、言葉を混乱させるだけで、神様は彼らを全地に散らすことが出来たのです。本心で団結しているならば、利害があっても、それを克服する努力をします。しかし、欲だけで集まっているならば、利害の調整をして団結を保つことなく判断するでしょう。そうして、言葉だけで、人々の団結は終わりを迎えたのです。