ローマ1:1-7

挨拶

(用語)

福音:良い知らせ(good news)。ゴスペル(gospel:god spell)

預言者: 神の啓示を受け,神の名によって語る人。預言書。

主:神のこと(神の名前を口にすることも恐れたため、ヤーウェをアドナイ:私の主と読み替えていた)

  70人聖書から、この習慣に倣って神の名をギリシャ語の主(キュリオスΚύριος)に置き換えた。

1.ローマの信徒への手紙

 この手紙の著者はパウロですが、筆記したのはテルティオです。

ローマ『16:22 この手紙を筆記したわたしテルティオが、キリストに結ばれている者として、あなたがたに挨拶いたします。16:23 わたしとこちらの教会全体が世話になっている家の主人ガイオが、よろしくとのことです。市の経理係エラストと兄弟のクアルトが、よろしくと言っています。』

 ローマの信徒の手紙は、記事の内容から、第3次伝道旅行のとき、コリントで書かれたと考えられます。さらにガイオという人物は、コリントの信徒の手紙一に最初にバプテスマを受けた人物として出てくるからです。

コリント『1:14 クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。』

 なぜ、教会あての書簡が、聖書になっているのか疑問を持つ人もいると思います。実は、新約聖書にある福音書は、最も早く成立したと思われるマルコによる福音書でも、AD65年より後ですから、パウロの残した手紙が、唯一無二に近い聖典(例外:ヤコブの手紙)であったわけです。また、その手紙も礼拝の中で読まれ、周辺の教会にも写本で共有していました。そういう意味からいうと、現代の新約聖書と同じ使い方をしていたわけです。

 

2.挨拶

 手紙ですから、パウロの挨拶から始まります。また、珍しく共同執筆ではなく、パウロ一人の手紙として出されています。パウロは、自己紹介の中で、こう書いています。

『キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となった』

 パウロ自身の意思で使徒となったのではなく、イエス様の命令によって、福音を伝道する使徒となったことを書きました。そういう意味で、パウロの書簡は、旧約聖書における預言者のような位置づけとなっています。

 パウロは、挨拶の中で、この手紙の内容について、概要を伝えています。まずは、旧約聖書とこのイエス・キリストの福音の関係を語ります。パウロは、この福音が決して新しいものではなくて、旧約聖書で語られてきた約束のことだと語ります。パウロの聖書観を図に書くと、このようになります。

   

アダムの犯した罪が最初にあって、キリストが下ってきてその罪を贖いそして再臨によって神の国が出来上がること。そこまでは旧約聖書の預言者が語ったことです。パウロは、イエス・キリストの福音について、十字架による罪の贖いと、再臨による神の国の完成を宣べ伝えます。そして、旧約聖書の律法による支配は、福音のために必要なことだったと教えました。

 

『御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、1:4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。』

パウロの聖書観は、イエス様が神の子(救い主)であること、そして十字架にかかって死んだイエス様が、復活したことを信じていることが基本にあります。

 

 パウロは、ローマの信徒に対して、そのイエス様の福音を宣べ伝えるために立たされたことを再度強調します。まだ、ローマに行ったことのないパウロですから、将来ローマで福音を伝道したいとの思いが垣間見れると思います。そして、挨拶の最後に「祝福」の祈りを捧げます。「召されて聖なる者となった」ローマの信徒たちに向けて、パウロはこれまで問題になってきた異邦人伝道に対して結論を出していたのでしょう。伝統的な教えと、革新的な教えがあわさったパウロの聖書観からすると、イエス様を信じる群れでは、律法に縛られたり、ユダヤ人のようになる必要がないわけです。そして、ローマの信徒の実態を見る前から「聖なる者」と認めた手紙を書いたと思われます。