使徒12:1-25

アグリッパ一世

 

1.ヘロデ王

 使徒言行録に出てくるヘロデ王とはヘロデ・アグリッパ1世のことです。アグリッパ王はローマ皇帝クラウディウスが皇帝になるときに暗躍した関係で、ユダの国の国王となっていました。アグリッパ王は、ファリサイ派の人々を味方につけたので、イエス様の弟子のグループは、迫害を受けました。その最初の犠牲が、ゼベダイの子ヤコブです。聖書にある通り、ファリサイ派の人々に受けが良かったようなので、アグリッパ王はペトロを捕まえます。また、ヤコブと同じように殺すためです。教会では、ヤコブの例もあるので、真剣に祈る必要がありました。

 

2.ペトロ救い出される

  ペトロは、天使によって牢から救い出されます。2本の鎖でつながれているのが解け、二人の兵士が番をしているのに牢から脱出できました。そして、衛兵所を2か所も通ってついには門の扉まで開いたのです。聖書には、奇跡物語がありますが、歴史の本として聖書が書かれたのではありません。信仰の面から出来事を受け止め、宗教観や信仰を持って記録されたものです。ですから、実際書かれている事そのものが起こったとは限らないと思われます。しかし、少なくとも、そう信じるようになった出来事はあったことは確かだと考えられます。

 天使の働きでペトロが逃げられた一方で、災難なのは番兵たちです。アグリッパ王は、番兵を死刑に定めます。ヘロデの家は、家族すら殺す家系なので、容赦はありません。

 

3.ヘロデ王の死

  アグリッパ王の死については、ヨセフスという1世紀に生きた歴史家が書いています。そのユダヤ戦記によると、カイザリアの劇場で、突然死したと記録されています。そういう意味で、使徒言行録に書かれているアグリッパ王の死の経緯を見ると、キリスト教徒の目には天罰が降りたように見えていたのだろうと思われます。また、「蛆に食い荒らされて息絶えた」という下りも、アグリッパ王に迫害されて来た人々の思いが入り込んでいると思われます。

 その一方で、聖書の中に史実(アグリッパ王が急死したこと)の記事があることで、その年代がわかり、そこにある社会背景が見えてきたりもします。ヘロデ大王は、イドマヤ出身のユダヤ人です。イドマヤは12部族とは別の場所であって、ユダヤの国に併入されているので田舎者扱いをされていました。そういう意味で、ユダヤの国の人々は、ヘロデ一族(ヘロデアンティパス、アグリッパ1世、アグリッパ2世)の支配を嫌って、逆らったりしていました。それでも結局、トラブルはあっても力でおさえ込みます。そういうわけで、多くの人がヘロデの家に天罰が降るのを「良し」としたのではないでしょうか? ヘロデの家を嫌っていたのは、クリスチャンだけではなく、ユダヤの民そしてローマ皇帝もそうだったのです。アグリッパ王は息絶えましたが、キリストの教えは途絶えるどころかますます広まったのです。

 ところで、バルナバとサウロ(後にパウロ)は、飢饉が起こるという予告から、アンティオキヤで支援物資を調達し、エルサレムの兄弟姉妹に届けていました。その仕事が済んだので、アンティオキヤに戻ります。そのとき、マルコと呼ばれるヨハネを連れて行きます。この人は、マルコによる福音書の記者だと言われています。ペトロが牢から脱出した時向かった家が、マルコと呼ばれるヨハネの母の家ですから、マルコはエルサレム出身者ということになります。