ルカ2:22-38

 シメオンの賛歌 

1.長子誕生と献げ物

 創世記『22:2 神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」』

 カナン地方では、「初子を神様に献げる」風習がありました。このアブラハムがイサクを献げようとした記事からも、それがうかがわれます。結局、神様はイサクの代わりに犠牲を備えました。この記事は、長子を犠牲にする風習からの決別を宣言しているようにも読み取ることが出来ます。

モーセが決めた掟は、次の通りです。

出『13:12 初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。あなたの家畜の初子のうち、雄はすべて主のものである。13:13 ただし、ろばの初子の場合はすべて、小羊をもって贖わねばならない。もし、贖わない場合は、その首を折らねばならない。あなたの初子のうち、男の子の場合はすべて、贖わねばならない。』

つまり、初子の男の子は、神様に献げる代わりに犠牲を献げ、信仰によってその子を育てることを誓うものです。現在では、「献児式」と呼ばれるものがそれにあたります。

2.シメオンの賛歌 「ヌンク・ディミティス」

 幼子イエスの母は、清めの期間が満ちて(男子の場合は40日間、女子の場合は80日間)、ヨセフとマリヤは幼子イエスを主に献げるためにエルサレムに上ります。

 神殿を訪れたこの幼子をまっていたのが、シメオンとアンナでした。

シメオンは

『2:25~正しい人で信仰が篤く、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。』のです。

『2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。』と言うことですから、シメオンは、「やっと、死ぬことが出来る」と安どしたものと思われます。シメオンは、幼子イエスを取り上げて主を賛美し、預言をしました。その賛美を、シメオンの賛歌と呼んでいます。

 ちょうどそこにアンナという女預言者もいて、神に感謝をささげています。シメオンのような賛歌は残されてはいませんが、賛美し幼子のことを語りました。

『2:38 そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。』

シメオンは、「イスラエルの慰められることを待ち望」んでいました。当時のイスラエルの中心地であるエルサレムは、ローマの支配下にあります。神殿のすぐ横にあるアントニー要塞には、ローマ軍が駐屯しているのです。この要塞は、神殿や最高法院(サンヘドリン)をけん制する為のものです。ユダヤの最高法院を差配する大祭司も例外ではなく、ローマの支配下に置かれていました。そのため、救い主の降ってくることを待望していました。すなわち神の国の到来という本来的な事ではなく、政治的にローマを追い出すような「都合の良い救い」を待ち望んでいた人々が多かったようです。実際、その機運が消えないまま、ローマとの戦争になり、エルサレムは陥落して、AD70年には神殿も破壊されてしまいました。

 もちろん、熱心に救い主による神の国を待ち望んでいる人々は、シメオンやアンナの他にも多くいたと思われます。特に、シメオンについては、聖霊がとどまり、聖霊のお告げを受けていたとルカが書いていますから、純粋に神の国の到来をもたらす救い主を求めていたと言えます。アンナにも聖霊がとどまって、聖霊のお告げを受けていたのでしょう。夜も昼も神様に仕えていた人ですし、預言者なのですから。

 ルカは、このようにマリアの生んだ幼子は、「聖霊が告げた救い主」であると、天使、羊飼い、シメオン、アンナの物語を通して、丁寧に説明します。幼子イエスの誕生は、神の救いがイスラエルの民のみならず、異邦人に対しても備えられた。それは、神様のご計画なのです。そして、幼子が救い主である事は、かかわった人々、福音書に登場する人々すべてが、「イエス様が救い主である」と証をしているのです。