ルカ11:14-23

 ベルゼブル論争


悪霊:精神的,肉体的な病気や障害など,人間に災いをもたらす霊。「汚れた霊」


悪魔:「中傷する者」の意味で,人間を誘惑して神に反逆させる者。サタンとかベリアルとかいう名前で呼 

   ばれたり,「この世の神」(2コリ 4:4)という別称で呼ばれることもある。


ベルゼブル:悪魔の頭(かしら)の名。サタンと同じ意味にも用いられる。


「奇跡」「しるし」「不思議な業」:この三つの言葉は同様の意味で,しばしば一緒に用いられている。い  

   ずれも,人間の理解を超える,驚くべきことであるが,神の力とその支配を示すしるしを意味する。 

                                  (以上新共同訳聖書語句解説)

δαιμόνιον(ダイモニオン):悪霊、悪魔、異教徒の神。 


聖書研究

1.悪霊の頭

 ベルゼブルはハエの神を意味し、木星に与えた称号です。異教徒の神々の頭であり、寺院や犠牲からハエを追い払う神とされていました。ペリシテ人はこの神をエクロンの神として崇拝しました。そこからユダヤ人はその名前を取り、悪魔の頭としました。この箇所では、悪霊と訳されていますが、元のギリシャ語はダイオニオン(英語ではデーモン)ですから、悪魔の事を指します。日本語で悪霊と言いますと、さまよっている悪い死者の魂という意味になり、悪魔と言えば悪を象徴する超越的な存在を指します。しかし、悪霊と悪魔は別々の存在とは言えず、地域や宗教で様々です。元のギリシャ語は、悪霊も悪魔も異教徒の神も同じ言葉ですから、区別する必要はないようです。なお、ユダヤ教やキリスト教から見れば、異教の神々であるならば、それはサタン(神の敵対者)です。


2.群衆の反応

 イエス様が口の利けなくする悪霊を追い出したことで、その口の利けない人がものを言い出しました。まず最初に、群衆は驚きました。でも、その「天からのしるし」を見せられても、「サタンに魂を売って力をもらった」とか「ハエを追い出す悪霊の頭ベルゼブルなら悪霊も追い出せるだろう」とか言いだします。そして、イエス様は何者であるのか?を疑って、「天からのしるし」を見せるように求めた者もいました。神様がイエス様を送り出したのであれば、その証拠を見せなさいと言うことです。つまり、預言者である証拠を見せられないのならば、「あなたは、サタンの力で悪霊を追いだしている」と追及するつもりなのです。


3.天からのしるし

 天からのしるしを見せてください。この問いは、目の前でそのしるしを見ていながら、発することが多いようです。この箇所でもそうです。人間では理解できない、不思議な神様の力を見せつけられているのに、まだ「しるし」「奇跡」を見せなさいと要求しています。これでは、何度見せても一緒です。天からのしるしは、示されていても、イエス様を信じていない者には何も気づきようが無いのです。イエス様を信じる者であれば、「あ、これは神様がしるしをお示しになったんだ」と気づくでしょう。しかし、信じるどころかイエス様を疑っている人にとっては、何かのトリックか悪魔に魂を売ったのか と言うことしか受け止められないのです。実は、神様はしょっちゅう奇跡を起こしているのですが、私たちの信仰が弱くて、その多くを気づかずに見逃しているのです。


4.サタンの内輪もめ?

 ベルゼブルの力を借りて、悪霊を追い出しているのか、神様の力で悪霊を追い出しているのか? ということですが、イエス様は、そもそも前者は矛盾していると指摘します。

 悪霊の頭であるベルゼブルが、悪霊を追い出しているのであれば、それは悪霊同志の争いです。それでは、悪霊の世界は共倒れになってしまうでしょう。それだけではないのです。イエス様がベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言ったのは、ファリサイ派の人々です。彼らも、悪霊を追い出していました。(正しくは、悪霊を追い出すふりをしていました) もちろん、ファリサイ派の人々に悪霊を追い出すことは出来ません。だから、悪霊はそのファリサイ派の人々の実態を暴くことになるのです。そもそも、なぜイエス様の起こす奇跡を疑うのかと言うと、ファリサイ派の人々の悪霊の追い出しは、見せかけだったからと言えます。イエス様と自分たちを同列にして、同じことをしているとの認識はあったのだろうと思われます。

 もともと、ベルゼブルの力との指摘も根拠はありませんし、ファリサイ派の人々がだれの力で悪霊の追い出しをしているのかも説明できませんでした。ファリサイ派の人々は悪霊にとりつかれているようなものですから、神様の力は借りられません。つまり、ファリサイ派の人々の悪霊追い出しは、神様に敵対する者同士の内輪もめとなります。


5.神の指で

 イエス様が 神様の指で悪霊を追い出しているならば、それは天からのしるしです。すでに神の国は近いと言えます。そして、何のたとえでしょう強い者がすべてを奪い取り、それを分配します。そして、イエス様に味方しない者は敵対しているし、イエス様と一緒に人々を集めようとしない者は、人々を散らしています。

 イエス様のしるしを否定しているファリサイ派の人々は、イエスに敵対しています。わたしと一緒に集まらない者は散らされる。それは、ファリサイ派の人々が根拠なくイエス様を非難し、軽蔑したその奇跡の結果起きています。その奇跡が確認されたイエス様の集まりを、ファリサイ派の人々は難癖をつけて妨げました。そうすることでイエス様の集まりを威嚇し、散らしたのです。このような暴力的なファリサイ派の人々は、せっかくイエス様が集めた人々を奪い取って散らせてしまったのです。


 ファリサイ派の人々は、そういう意味で悪霊にとりつかれた人々と言えます。しるしを見ても、悪霊の力を借りたと言い、そして天のしるしを見せろとイエス様に迫りました。こうして、イエス様に群衆が集まると寄って来ては邪魔をするわけです。そのサタン(ファリサイ派の人々)が集めた戦利品は、キリストが十字架の出来事に勝利すると、分配されるのです。