マタイ21:28-46

 「ぶどう園と農夫」のたとえ

   

1.祭司長や民の長老たち

ヨハネのバプテスマは、天からのものか人から出たものか? 答えなかった祭司長たちにイエス様は、イエス様の教えがどこから与えられた権威によるのかを、言いませんでした。そのかわりに、このたとえを祭司長たちにしました。あなた方とは、祭司長と長老たちのことです。

 バプテスマのヨハネが来て、義の道を通しました。信じた人々の中には徴税人たちと娼婦もいました。彼らは、その兄弟の兄がしたように一度は断ったものの、思い直して働きに加わったのです。一方で、口先だけは良い返事をしたのは、祭司長たちでした。心では、バプテスマのヨハネをまったく受け入れていなかったのです。そして、考え直すこともしませんでした。その兄弟の弟のように、返事だけはよくても、最初から一緒に働く気がなく、そして考え直すほど、気にも留めていなかったのでしょう。祭司長たちの答えた通り、その兄弟の兄が神様の望み通りに行動したのです。そして、先に神の国に入るのは兄の方なのです。

 

 2.「ぶどう園と農夫」のたとえ

 イエス様は、祭司長たちに、さらに譬えで話しかけられます。

登場人物

①  ある家の主人(神様)  :ぶどう園を農夫たちに預けて、収穫を楽しみにしていた。

②  農夫たち(祭司長、長老):主人が留守にしている間ぶどう園をほしいままにしていた。

③  僕たち(預言者:内一人はバプテスマのヨハネ)

④  息子(イエス様)

このたとえでは、明らかに祭司長や長老たちの専横に対して、イエス様が警告をしています。しかし、最初それに気が付かない祭司長たちは、先ほども正解(兄が神様の望み通りにしている)したように、今度も正解を言っています


 そこで、イエス様は聖書の言葉を取り上げます。

詩編『118:22 家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった。118:23 これは主の御業/わたしたちの目には驚くべきこと。』


 大工さんが家を建てるためには役立たないとして捨てた石が、国の(神の家の)四隅の基礎石になった。これは、ありえないことですが、神様だからできることです。旧約の時代から、そのような事が起こることが預言されていたのです。イエス様は言います。「神の家は、祭司長達に委ねられていましたが、取り上げられると。そして、相応しい民がその役割を担うようになる。」。

 そして、イエス様は続けます。「この隅の親石(イエス様を指す)の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石が誰かの上に落ちれば押しつぶされる」

 ここでは、受動的なイエス様と能動的なイエス様が表されています。大工が捨てた見てくれの悪い石は、多くの人にとって躓きの石でした。躓いたものですからイエス様を信じることが、難しかったのです。求めていた救い主とは、違っていたからです。そして、自分で躓いて転んで、打ち砕かれてしまうのです。また、イエス様は裁きの時、能動的に動かれます。すなわち、誰かの上にその石が落ちることを預言しています。

 祭司長たちに任されていた、この国は、祭司長たちから取り上げられ、そして異国の民のものになる。それだけではすまずに、その基礎石にはイエス様が据えられ、祭司長たちはそこにつまずき砕かれ、最後の日には裁かれてしまう。そのように、イエス様は言われたのです。

 

 祭司長たちも気が付きます。ぶどう園で働いてほしいと言った神様に対して「分かりました」と言って、手伝いに行かなかったのは祭司長たち。そして、神様に収穫を差し出さずに、使いのものや跡取り(預言者やイエス様)を殺そうとするのも祭司長たち。だから、神様から国を任せられなくなって、取り上げられる。そして新しい国を立ち上げた時に、祭司長たちは、その基礎であるイエス様につまずいて砕け散り、裁きの時に押しつぶされてしまうのです。しかし、イエス様はそうならないように、み言葉教えられているのです。