ルカ12:22-34

 心配するな


1.だから言っておく

 『12:21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」』

 前の章では、このとおり地上の富を積んでも、明日にでも命を落としたら何にもならないことをイエス様は教えました。地上の富で豊かであっても、その富は誰かの持ち物になるだけで、神様の前に持っていくことは出来ません。しかし、神様の前に豊かであることは、地上での生活を終えた後もそのまま豊かさは維持されます。

『「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。』


神様の前の豊かさ > 地上の命/体 > 食べ物/衣服 >> 地上の富


大切な順を考えると、確かに食べ物や衣服について、思い悩む前に、神様が地上の命や体をはぐくんでくださることを憶えなければなりません。そして、もっとも大切なことは神様の前の豊かさです。地上の命/体は永遠のものではありません。命や体のための食べ物/衣服もこの地上の命/体を維持するためのものです。ましてや、地上の富は地上の命/体にもなりません。つまり命をはぐくむことにすら寄与しない、地上の命があるとき限りの飾りでしかないのです。   

2.神は烏(からす)を養う

 烏は、頭のいい鳥です。しかし、人間のような文明を持ちません。多少は道具を使ったり、集団行動をすることから、人間世界で言えば旧石器時代の狩猟文化のようなのかもしれません。狩猟時代は、身分の上下もなければ、食べる物はその日に獲れた獲物だけで蓄え等ありません。保存しようとしても、そう長持ちしないですから、ある時にみんなで分け合って全部を食べてしまいます。そして、獲れないときは、野菜類、実や根を採集して飢えをしのぐ。だれも、明日十分に食べる分の食料を蓄えられません。その日暮らしですね。それでも人類は生き延びてきているし、現に烏だけでなく、すべての野生動物は、明日の保証もないのに、神様から養われています。

 一方で、人間世界は農耕をするようになると、水が供給できる畑を作っては、耕し、種を蒔き、草取りをし、刈り入れ、そして納屋に保管するようになります。1年分以上の食料が備蓄できるわけですから、食べることに困らなくなります。そして、余った分は贅沢品を買うために使えるでしょう。そして、勤勉な人は、次の年の収穫を増やそうと、また畑を作るわけです。中には、自分で働かないで食料を支給して畑を作らせるような人も出てきます。これが、身分の差・富の差を大きくしていきました。この人間特有の社会の仕組みは、生活の安定をもたらしましたが、地上の富のむさぼりももたらしました。烏でさえ、神様は養ってくださるのです。烏より価値の高い人間ですから、神様は必ず養ってくださいます。だから、食べる物、着る物を悩んだところで、寿命に何の影響もないのです。悩んでも、命にも関わることすらないのに、他の事を悩むのは、何のためなのでしょう?

3.はかない野原の花でさえ

 野の花は、悩んだでしょうか?食べる物を得ようと働くわけでもないし、着飾るために糸を紡ぐわけでもありません。それでも、神様はその野原の草に花を咲かせてくださいます。あのソロモン王でさえ、野原の花ほどに着飾っていなかったのです。人の作った糸、布、そして染料が美しく、またデザインが素晴らしいと言っても、それは神様が野原の花に与えた美しさにはかなわないのです。その野原の花は、もとは草です。

オーブンで燃やす燃料として刈り取られる草でさえ、神様は、美しく装ってくださるのです。ましてや、人間です。神様は、必要な物を備えてくださいます。だから、悩むことはないのです。

『12:29 あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。12:30 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。』

 考えてはいけないとは、「求めない」ようにとのイエス様の指示です。思い悩むなとは、「心配しない」で良いとの教えです。弟子たちに訓練をし始めたイエス様は、これから弟子たちが遭遇するだろうことを予想した命令なのです。「あなたの飲食についてあなた自身から求めないでください。」弟子たちの将来の伝道生活のためにイエス様が繰り返して教えたのは、「すべてを神様に委ねて、彼らの飲食について心配しないように」とのお勧めであります。異邦人が求めているものとは、偶像礼拝(例えば、飲食等の欲望を満たすこと)であります。異邦人のように求めなくても、天の神様は必要な者はご存知ですから、備えてくださるのです。

4.富を神の国に

 『12:31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。12:33 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。12:34 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」』

 伝道者は、「神の国を求める」ことに専念すべきなのでしょう。飲食を求めなくても、神様は備えてくれるから、それが可能になります。そして、神様は、もともと天の国をくださるご予定です。ですから、心配することはないのです。ただ、イエス様は持ち物を売り払って、そのお金で施しをして伝道に出る様に命令しました。神の国に富を積むためです。地上のお金では、同じ価値のある物しか買えません。しかし、神の国の富はその行いによってそして、減りもしなければ、盗まれる恐れもありません。だから、財布の中の富に心を置くのではなく、神の国の富に心を置くべきであります。だから、財産は持たないことが、神の国を求めるのにふさわしいのです。