ルカ1:26-56

 イエスの誕生予告 

 1.イエスの誕生が予告される

 バプテスマのヨハネの誕生予告ののち6か月目に、天使ガブリエルが処女マリアに現われました。そして「おめでとう、恵まれた方」と言います。しかし、続ける言葉は当時のユダヤ社会では、とんでもないことです。

天使はとまどうマリアに、『~恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。~』と告げます。

 マリアはヨセフと婚約していましたから、婚約中に身ごもったならば、石打の刑にあたる罪を犯したと見られます。天使は、明らかにすでに身ごもっているニュアンス(動詞が過去形)で話しました。しかしマリアは、天使の話を遮ることなく、天使の言葉を聞き続けます。天使が何を言っているのか、理解に苦しみましたので、マリアは天使に聞きました。

『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』

 これは、純粋に、「どうして、そんなことができるのですか?」という疑問です。

『 神にできないことは何一つない。』

これが天使の答えです。マリアは言います。

『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』

マリアの応答は、祈りにも似ています。いろいろ、言いたいことはあるでしょう。しかし、最後は、神様の御心のようになるように祈る。マリアは自分の身を何の条件もつけずに、神様に差し出しました。積極的であると同時に、徹底的な受身でもありました。

2.エリザベトを訪ねる

『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。1:43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。1:44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。』

 ここでエリサベツは、マリアを、「わたしの主のお母さま」と呼んでいます。つまりマリアは、自分自身を「主のはしため」として差し出した結果、「主の母」となったのです。なぜなら、主はマリアから人として生まれる前から主であり、この世を創造した主だからです。

3.マリアの賛歌

 マリアの賛歌は、マグニフィカートと呼ばれます。子供が欲しいと誓いを立てたときの「ハンナ(サムエルの母)の祈り」を参考にしたものと言われ、ハンナの祈りや旧約聖書の他の詩的な部分の引用や暗示を使っているので、マリア作の歌としては受け止められていないようです。

ハンナの祈り(サムエル記上)

『「主にあってわたしの心は喜び/主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き/御救いを喜び祝う。2:2 聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。岩と頼むのはわたしたちの神のみ。2:3 驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神/人の行いが正されずに済むであろうか。2:4 勇士の弓は折られるが/よろめく者は力を帯びる。2:5 食べ飽きている者はパンのために雇われ/飢えている者は再び飢えることがない。子のない女は七人の子を産み/多くの子をもつ女は衰える。2:6 主は命を絶ち、また命を与え/陰府に下し、また引き上げてくださる。2:7 主は貧しくし、また富ませ/低くし、また高めてくださる。2:8 弱い者を塵の中から立ち上がらせ/貧しい者を芥の中から高く上げ/高貴な者と共に座に着かせ/栄光の座を嗣業としてお与えになる。大地のもろもろの柱は主のもの/主は世界をそれらの上に据えられた。2:9 主の慈しみに生きる者の足を主は守り/主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。人は力によって勝つのではない。

2:10 主は逆らう者を打ち砕き/天から彼らに雷鳴をとどろかされる。主は地の果てまで裁きを及ぼし/王に力を与え/油注がれた者の角を高く上げられる。」』