フィレモンへの手紙1:1-25

 わたしが言以上の事

2021年 10月 3日 主日礼拝

わたしが言う以上の事』   

聖書 フィリポへの手紙1:1-25 

 

おはようございます。今日は、フィレモンへの手紙からみ言葉を語ります。

『フィレモンへの手紙』はローマ(又はエフェソ)で獄中にあったパウロがフィレモンにあてた個人的な手紙のように見えます。フィレモンの奴隷であったオネシモが、パウロとの出会いによって、共に働く者となって役に立っている。それで、フィレモンに返そうとして頼んだという内容です。パウロはオネシモのことをかつては「役に立たなかった」と評価しています。なんで、そんなことを手紙に書くのかと思われますが、その役に立たないという意味の言葉がヨークリストス(εὔχρηστος)なので、キリストと掛け詞になっているようです。それで、キリストの御用に役に立たなかった者が、役に立つようになったと言う意味であると、指摘されています。フィレモンがどんな人であるかは、フィレモンへの手紙以外にフィレモンの記事は出てきませんので、分かりません。しかし、唯一の手掛かりとして、オネシモの名前が、コロサイ人への手紙4:9に出てくる関係から、フィレモンとオネシモがコロサイの人であることがわかります。コロサイの信徒への手紙では、コロサイの信徒への手紙を託した人にオネシモが随行することになっています。ですから、コロサイの信徒の手紙とフィレモンへの手紙は、書かれた時期と場所、そしてあて先の場所が一緒だったと考えられています。

また、フィレモンへの手紙には、家の教会とありますが、コロサイの教会を指すものと考えられています。コロサイに住む有力者が家を開放して、教会となったことを指します。このコロサイで最初に伝道をしたのは、ローマにいるエパフラスですから、フィレモンがコロサイの教会を引き継いでいたと考えて良さそうです。この他には、聖書から当時の状況を読み取ることは難しいので、少し当時のことについて一般的な情報を加えたいと思います。

 まず、奴隷制についてです。当時の奴隷制度ですが、主人の所から逃げ出したならば、拷問されるなど、徹底して罰せられたようです。そして奴隷の逃亡を助けた人には、その労働しなかった分の損害を請求する習慣があるそうです。そういった意味で、オネシモを奴隷としてではなく、共に働く者として仕えさせていたパウロは、フィレモンに借りができてしまっていたのです。ですからパウロは当然の様に、その代金を払うと約束しています。しかし、パウロは「奴隷としてのオネシモ」を返すのではなくて、愛する兄弟として返して、フィレモンに受け入れてもらえるようお願しました。フィレモンにオネシモのことを「主を信じる者」、仲間として認めてもらいたかったからです。

パウロはへりくだって、フィレモンにお願いをしていますが、コロサイの教会のためになると考えていたのだと思われます。オネシモは後にエフェソの教会の主教となりますから、パウロの代理としてエフェソやコロサイの教会に派遣されたと言うのが実態ではないかと考えられます。それが受け入れられたら、奴隷であったオネシモは、元の主人であるフィレモンと一緒に伝道をすることになります。すでにローマで投獄されているパウロは、比較的自由にしてはいましたが、もうエフェソにもコロサイには行くことはあり得ません。そういう事情から言っても、パウロは、オネシモをパウロの元から離して、新しい働き場所を与えたのだと考えられます。さらに、奴隷とその主人という関係でありながら、オネシモとフィレモンが共に神様の伝道のために働くことをパウロは願っています。身分の違いを乗り越えて、そして神様の前では全く平等に、オネシモを扱ってくれる。そのようにフィレモンは、パウロのお願いを喜んで受け入れるはずだと確信を持っていました。

 このお願いは、当時として画期的なものです。奴隷をお金で売り買いすることはあっても、何の対価ももらわずに奴隷を自由にすることは無かったからです。しかも、コロサイの家の教会でパウロの代理として一緒に働くのであれば、上下関係は逆転します。オネシモをフィレモンに返すということは、奴隷を開放するだけのことではなく、神様の前では奴隷も平等であること、そして、奴隷をフィレモンの教会のリーダとして立てることだったわけです。今でこそ、奴隷という制度はなく、皆が平等であることを教わっている私たちには、自然に受け入れられると思いますが、当時は、奴隷は持ち物扱いでしたから、かなり新鮮な提案だと言えます。しかも、個人的な手紙の様に見えますが、この手紙はほかのパウロの手紙と同じように、礼拝で読み上げられるために書かれたものです。当時の教会には、「奴隷をどのように扱うべきなのか?」という課題があって、そしてパウロがその課題に対する一つの答えを出したものだとも考えられます。ですから、こうして、パウロの個人的な手紙にしか見えないフィレモンへの手紙が、福音として宣べ伝えられて、新約聖書に入れられたのだと考えられます。

パウロは、すでにガラテヤの信徒への手紙で、このように語っていました。

ガラテヤ『3:26 あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。3:27 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。3:28 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。』

そして、フィレモンへの手紙と一緒に書かれた、コロサイの信徒の手紙にも、同じ内容があります。(コロサイ3:11)また、このような指示があります。

コロサイ『4:1 主人たち、奴隷を正しく、公平に扱いなさい。知ってのとおり、あなたがたにも主人が天におられるのです。』

パウロはたびたび、すべての人が神様の下に平等であり、すべてのクリスチャンが神様の奴隷であると教えています。それは、当時ユダヤ人とギリシア人を区別する。奴隷と自由人を区別する。そして男と女を区別する。ということが、正しくなく、また不平等に行われて来たことを示します。今の言葉で言うと差別ということでしょうか? 差別という「理不尽な扱い」を問題にすることがこのころにあったとは思えませんので、「正しく、公平に」とのパウロの教えは驚きであり、新鮮だったと思われます。奴隷に対する区別も、当時の常識であり、だれも疑問に思わなかったのだと思います。しかし、パウロは主人も奴隷も公平だと考えていたのです。パウロはイエス様の奴隷として、イエス様のご命令に従っています。同じように、このオネシモもイエス様の奴隷として、イエス様のご命令に従っています。パウロは自由人ですが、オネシモは奴隷です。しかし、キリストにあっては、全く同じ身分であって、自由人であることと奴隷であることを区別する必要はありません。

そして、パウロはさらに踏み込みます。すべての人に平等にすべきことに加え、奴隷であるオネシモが自由人となり、伝道の働きをすることを期待しているからです。パウロはフィレモンにお願いしているわけですが、強引に考えを押し付けるのではなく、フィレモン自身の判断にゆだねています。オネシモを自由人にするだけならば、パウロがその損害分を払えばそれだけで済みます。そして、パウロの手伝いを続けさせれば良いのです。しかし、パウロはその方法は取りませんでした。フィレモンのもとにオネシモを返すことで、フィレモンの信仰に、そしてコロサイの教会にその判断をゆだねたのです。平等とは言うのは簡単ですが、実践するのは難しいものです。そればかりか、自由人にまでしてあげて一緒に働くということは、互いに仕えあうことになります。フィレモンが、それを望むならば、自ら進んでオネシモを自由にするでしょう。その決心がクリスチャンとしての「新しい生き方」となります。そして多くの人々への証しとなることは間違いありません。パウロは、そのことを願っていましたし、フィレモンがその通りに受け入れてくれることを確信していました。

 

 ところで、ひとつだけ疑問があります。オネシモはどうしてフィレモンの所からいなくなったのでしょうか? 二つ有力な説があります。

一つは、脱走したという説です。そして、もう一つはフィレモンからの手紙を預かってパウロの所に来ていたという説です。オネシモがパウロのところで、つい長逗留をしてしまっていたという説明です。どちらにしても、オネシモがパウロと出会うことがきっかけで、パウロと共に働く者になりました。そういう意味で、脱走したという説では、たまたまパウロの所にオネシモが行くこと自体が偶然過ぎる様な気がします。また、当時の決まり事で、助けを求めた奴隷は保護することが出来ました。そのかわり、主人の所に戻ることを奴隷の本人が拒んだ場合、助けた人はその奴隷を売らなければならないそうです。パウロは「私の所の引き留めたい」とも考えたようですから、逃げてきたオネシモを保護していたとすると、オネシモは、売られるか、フィレモンのところに帰るしか選択肢がありません。やはり、オネシモは脱走したのではないと言えそうです。

その様に考えてみると、長逗留をしてしまったのだと考えるのが自然です。結果として、オネシモはパウロの薫陶を受けながら、将来の指導者としての学びをしていたことになります。

 

 パウロは、この手紙を書くことによってオネシモという同労者を手放すことになります。そして、オネシモはフィレモンがどのような態度をとるのかわからないまま、フィレモンの所に帰ることになります。また、フィレモンには、オネシモを赦し、そして自由人にしてあげることが課題です。パウロの提案では3人とも、何らかの我慢をしなければなりません。そして、その我慢はパウロが強いるのではなく、それぞれが喜んで受けてもらいたかったのです。イエス様に祈ってそして何をしたらイエス様は喜ばれるのか?そして、自身が喜んで受け入れられるのか?どうすることがこの群れのために良いのか?等と問われているわけです。この手紙では、フィレモンにその判断が委ねられます。一方で、パウロは提案すること自体が自由であり、オネシモに至っては、帰るかどうかも自由に任せられているのです。そして、その結果どうなったかは聖書のどこにも書かれていません。たぶん、パウロの提案の通りに、オネシモはフィレモンの所に帰り、そしてフィレモンの家の教会に受け入れられ、そして伝道者として立てられていったものと思われます。それだけではなく、パウロの言ったこと以上のことが、コロサイで起きていたと思われます。

 この手紙を読むと、パウロが間に立って忠実に執り成しをしていることが分かります。だいたいパウロは、大胆な人だとの印象があると思いますが、実際はこんなに丁寧に繊細によく考えて、自然な感じで自主的な判断を促す気遣いがあるようです。パウロは、フィレモンにもオネシモにもパウロの考えで命令することが出来る立場を持っていました。パウロ自身、自分のことを大使(日本語の聖書は年老いて:9節)と呼んでいましたので、教会を動かす全権を持っていたと思われます。しかし、パウロは、その権限を使うことなく、それぞれの立場でじっくりと考えてもらったうえで、自身で決めるように促しています。それは、イエス様への信仰でつながった教会の成長のためには、それぞれの自主性、主体性が大変大事なことだと思われるからです。パウロ自身が、他の伝道者の上にいるのではなくて、神様に仕える奴隷であり、みなその意味では神様の奴隷同志なのです。ですから、教会の働きや、それぞれの歩みを決めるときには、本人への配慮が必要であることを、実践していたのだと思います。また、そのように自身を低くしてみんなの考えに配慮し、そしてそれぞれの責任で判断してもらうことで、それぞれが新しい生き方を選び、そして証となるのです。

 そして、その結果、オネシモはエフェソの主教となり、キリスト教伝道の中心となりました。パウロが言った以上のことがおこなわれていたのです。

 イエス様に祈って、求めるならば、私たちは思った以上に、そして言った以上に良い結果を導くのです。そして、喜んで行えるよう、イエス様に祈って参りましょう。