マタイ12:33-50
しるしを欲しがる
1.木とその実
木の良し悪しは、その実でわかります。悪い人は、良い言葉を言うことができません。人の言葉には、心にあふれることが出てきます。だから、人の良し悪しは、その人の言葉でわかります。そして、その言葉によって、義とされたり、罪が問われたりすることになります。
「イエス様が、悪霊につかれている」と言うことは、律法学者とファリサイ派の人々は言いました。イエス様は彼らに対し、その吐き出した言葉の通り、悪い人であり、また悪いものを食べて、悪いものを蓄えていると指摘したのです。そして、そのことによって、律法学者とファリサイ派に人々は、「死に値する」罪を問われることになります。
2. 人々はしるしを欲しがる
「先生しるしを見せてください」この言葉が、真摯なものか、追い詰めようとしているのかはわかりません。しかし、イエス様が、ヨナが魚に飲まれ、三日後に戻されたことと同じことが、イエス様の身に起こることを預言します。ニネベの人々がヨナによって悔い改めたこと、また、シバの女王がソロモンの知恵を学びに来たことを引き合いに、この悔い改めたものが、今の世の悔い改めていない者を裁き、罪に定めると言います。つまり、律法学者とファリサイ派の人々は、死後の世界で裁かれることが、皮肉にもその「しるし」になるのだと言われたのです。
3.汚れた霊が戻ってくる
人とは? 律法学者とファリサイ派の人々を指しています。
悪霊が、とりついていたその人が、バプテスマのヨハネの悔い改めのバプテスマできれいになってしまいました。
(バプテスマのヨハネは一例としたもので、正しく信仰に導かれたということを象徴した記事です。)
すると、悪霊は居場所がなくなって、安住の地を求めます。
しかし、この正しい教えが世間中に広まっていたのでしょう。悪霊のとりつく相手が見つかりません。そこで、悪霊は、もともといた家に戻ります。きれいに掃除され片付いていました。とても、悪霊が住んでいられないので、もっとひどい悪霊7人を連れてきました。すると、悔い改めたはずのその家の住人がもとに戻っただけではなく、さらにひどくなってしまいました。
ここで、しるしを求めた律法学者とファリサイ派の人々は、イエス様を受け入れませんでした。そればかりか、しるしを見せても、悪霊ベルゼブルの力を借りているなどと言い、そして今度はしるしを見せてくれと言うわけです。すでに、律法学者とファリサイ派の人々がその7人の悪霊によって、さらにひどくなっていることをイエス様は言っているのです。
4.イエスの母、兄弟
イエス様は、母と兄弟から この伝道の業を認められていないようです。だから、イエス様は、母とはだれか?兄弟とはだれか?と言います。肉親である母と兄弟は、イエス様の言う母と兄弟ではないと言うことなのでしょう。むしろ、弟子たちは、イエス様と同じ働きのために献身していることから、肉親よりも兄弟として呼ぶにふさわしいとイエス様は考えておられるのです。