エゼキエル書34:1-6

が建てなおす日

 

1.荒れ果てた地

バビロン捕囚は、歴史家ヨセフスによると3回行われました。(数え方によっては4回)捕囚というのは、町ごと根こそぎ移動する占領政策です。アッシリアが北王国を滅ぼしたときに捕囚は始まりました。このときのやり方は、命を救う代わりに、町の富を差し出させて、民を自国に連れ帰るのです。建設などの労働力として使い、そして同じ国民となっていきます。そのメリットは、占領地を経営しなくて良い事。そして、敵対勢力と同化してしまうので、反乱の心配がない事です。当然のことながら、もう住むことのない町ですから、運んで意味のある財産は全て持ち出されます。そして、人はまったくいなくなりますので、どこも荒れ放題となってしまいます。バビロン捕囚の場合は、一気に捕囚されたのではなくて、時間がかかっています。最初は貢物。次は、王を殺し傀儡政権をたて、その傀儡政権に難癖をつけて王をすげ替え、そして最後はユダの王は絶えてしまいました。その度に、バビロンへの捕囚は行われたのです。しかし、すべてを根こそぎ持って行ったのではありません。町や住む場所は、破壊しつくして、欲しい者だけを連れて後は見捨てて行ったのです。

当然、だれも耕さない畑は荒れますし、町を立て直すどころではありません。その状態が70年も続きました。紀元前537年の初めごろ、ペルシャの王キュロス2世は、エルサレムに帰還して神殿を再建することを許し、捕囚が終わります。この時、捕囚の民の子供たちと奴隷とあわせて約20万人が4か月かけて、ユダに戻ったようです。住む家が無ければ、畑もない、そして道路も井戸もないところからの再出発です。

2.廃墟を立て直す

 気の遠くなる作業を始めるわけですが、神様はエゼキエルに『わたしは町々に人を住まわせ、廃虚を建て直す。』と民に伝えるように言います。神様は、その大きな仕事を成就すると約束してくださったのです。

 20万人ですから、大きなインフラが必要です。住むところは最初には、移動に使った天幕を使うとして、まず食料を確保しなければなりません。1ha(10000㎡)あたり1トンの穀物が採れるとすると、20万人が1年で食べる穀物は160kg×20万人=32000トンだとすると、32000haの耕地が必要です。4万人でこの作業をしたとしたら、一人で8000㎡の開墾が必要です。木の根っこを掘り、深く耕すためには、月単位の時間が必要ですし、そのための道具も手配しなければなりません。また、収穫が得られるまでの間の食料は、他の国から買うことになるでしょう。そして崩れた町を立て直すには、資材を運んでくることも必要ですし、運ぶ道具や運ぶための道路も必要です。買い物は、持参したお金で手に入れるとしても、いつまでもお金があるわけではありません。町を建設しながら、耕地を開墾しながら、その日々必要なお金を得るために、売る物を作ることも必要です。このころの産業の基本は、農業ですから、耕地を倍以上に増やさないと町を立て直す資金がすぐにでも尽きてしまいます。 本来、ペルシャのキュロス王の命令では、エルサレムを再建する費用は出されることになっていましたが、周辺の国の民が妨害してその費用も途切れましたし、直接の工事妨害もありました。そのため、工事はなかなか進みません。結局第二神殿が完成したのは、518年ころで30年もかかっています。

 このように、生活の基盤を整えながらの町の建て直しと共に、ユダヤの神の神殿を建て直します。同時に、バビロン捕囚で民族のアイデンテティを失わないように、この捕囚の間に聖書の編纂がおこなわれていました。この第二神殿が完成した時、モーセ五書が読まれ、その成果をお披露目したのです。こうして、主の言われるエデンの園のように、ユダの地は変わっていくはずでした。

3.羊で満ち溢れる

 確かに、ローマの属国であったころ、エルサレムの神殿は羊で溢れました。時期としては、400年以上後のことです。実際、それまではユダの国は、国の形が無くて、周辺の国との衝突も多かったのです。そういう意味で、町は繁栄していませんでした。この時期については、聖書には書かれていません。(続編付きの聖書のマカバイ記を読めばその様子がわかります) それでも、イドマヤ生まれのヘロデ大王がローマとうまくやりだすと、ユダの町々は繁栄しだします。ローマがエジプトへ進出する拠点として軍事的に重要であり、また貿易の中継点だったのです。例えば、エジプトの穀物がユダの国の港を経由してローマに行き、ローマ市民に無料のパンが配られていました。

この繁栄は、ヘロデ大王がローマに国を売った結果、もたらされました。しかも、ヘロデ大王は、カイザリアの町に皇帝の礼拝所を作り、礼拝させました。そうした罪への怒りでしょうか? ローマに対しユダは反旗を挙げようとします。もともとイエス様の生きた時代には、ローマに1/10税を払うという屈辱もあって、ローマの総督の専横も加わって、ローマは嫌われていました。そんな理由で、ローマとの戦争に向けて突き進んでいったのです。熱心党などが、その中心です。それが、イエス様の弟子の時代になると、この機運が急でした。ファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派は、ローマとの戦争に加わっていきますが、エルサレムの教会は参加しませんでした。一説によると、主の兄弟ヤコブがその流れを作ったようです。そして、そのときからエルサレム教会は、消えてしまうのです。そして、エルサレム神殿(ヘロデの神殿)は、ローマによって陥落します。それ以降、エルサレムの神殿は、この世に復活することは無かったのです。しかし、いつかこの預言は、成就することでしょう。