イザヤ書40:1-11

呼びかける声 


参考)イザヤ『39:5 そこでイザヤはヒゼキヤに言った。「万軍の主の言葉を聞きなさい。39:6 王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る、と主は言われる。39:7 あなたから生まれた息子の中には、バビロン王の宮殿に連れて行かれ、宦官にされる者もある。」』


イザヤ書は66章からなり、1-39章までを第一イザヤ、40章以下の第二イザヤ、56章以下の第三イザヤとする説があります。第二イザヤは、救い主が現れる預言でありますので、この時期にはふさわしい箇所です。

10月29日は降誕前第9節となります。第4節からアドベント。

今年は、第1節がクリスマスイブ12月24日となります。

1.慰めよ

 39章を参考として、挙げました。40章に入って、急に調子が変わります。第一イザヤでは、人々の悪(神様への背き)のために、国が滅亡するとの預言でした。それが第二イザヤは、「慰めよ」で始まるわけです。イザヤは、バビロン捕囚への警告をもはや やめました。そして、バビロン捕囚から戻ったのちに起こることを預言したのでした。悪を行った民、その悪のためにユダの国を神様は滅ぼしました。バビロンが攻め上りエルサレムは陥落して、民はバビロンに連れ去られます。しかしバビロンで受けた神の民の苦役によって、そのエルサレムの咎は贖われました。そして罪の全てに倍する報いを約束されました。それは、救い主が生まれることを示します。 

2.呼びかける声

呼びかける声とは、命令であります。ヤハウェ(主の名前)のために荒れ野に道を作り、神様のために道を広くまっすぐにしなさい。これは、バプテスマのヨハネの預言であります。

マタイ『3:1 そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、3:2 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。3:3 これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」』

 バプテスマのヨハネは、イエス様が活動するための環境整備をした人です。すなわち、水による悔い改めのバプテスマを人々に施しました。そして、ヤハウェの栄光が現れるのをみることになることを、ヤハウェ自身が宣言しています。 

 そして、呼びかけよとの命令です。ヤハウェに何を呼びかけたらよいのかを聞いたイザヤは、このように言います。

『この民は草に等しい。40:8 草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。』

民は草のように枯れてしまう。しかし、枯れないものがある。それは、神の言葉だ  と。これは、伝道命令であります。神の言葉を民に伝え、そして永遠の命を頂きなさい。その先駆けが、バプテスマのヨハネであります。

3.福音を告げよ

 高い山とは、エルサレム(シオン)のことです。エルサレムが、高められるように導きなさい。良い知らせ(福音:神の言葉god-spel)をエルサレムに伝える者とは、救い主キリストの事です。

エルサレムと、ユダの町々に福音を宣べ伝えるイエス様に対し、「声を上げ、恐れるな」 と士気を鼓舞するものであります。

4.シオンの娘

 シオンの娘 、またはシオン(彼女)は、エルサレムの街が建てられた丘の一つの名前でした。この丘の上には以前はエブス人の町がありました、そしてダビデはその町を彼の庭にしました、そしてダビデの町、または聖なる丘と呼ばれ、旧市街の南部にありました。シオンは宮廷となり、最も重要な場所であったため、この名前はエルサレム全体を表すためによく使われました。ここでの「シオン(の娘)」という言葉は、シオン自体、またはエルサレムを意味します。娘という名前は、美しい町や都市が若い女性に例えられるという東方の作家の習慣に従った擬人化によります。母親という名前も同じように適用されます。おそらく、この習慣は、都市が建設されると、町や村がその周りに湧き上がり、最初の都市が母の都市と呼ばれるということから生まれました(メトロポリス)。