ルカ18:18-43

 金持ちの議員

 

1.金持ちの議員

 

 議員とは、最高法院の議員です。ある議員がイエス様に「善い先生」と呼んでから、質問をします。たいてい、猫なで声ですり寄ってくる場合には魂胆があります。イエス様もその点を見破ったものと思われます。多分ですが、掟を全て守っていることを誉めてもらいたかったのではないでしょうか?もしくは、神の国にあなたなら入れると言ってもらいたかったのでしょう。それで、「何をすれば永遠の命を受け継ぐことができる」のかを、イエス様に尋ねます。すると。

『18:19 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。18:20 『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証するな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」』


 イエス様は、その議員が「善い」と言う言葉の意味を間違って使っていること、そしてそのために思ってもいない正しいことを言っていること、また、イエス様を尊敬していないことを理解しました。そして、「十戒ぐらい知っているでしょう?」と問いかけます。すると、議員は、「そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と答えます。この答えは、少しぶっきらぼうに見えます。そして、具体的に一つ一つの戒めに対して、どのように対処してきたのかをイエス様に説明しようとの意欲が見えません。所謂、型通りに決まり事を守っているのであって、「神様のみ旨に伺いながら、自分の出来る最善を隣人にしてあげたい」との「隣人愛」は、守るべき掟から外しているのだと思います。そこで、イエス様は言いました。

『「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」』

 「隣人愛」を実践しているイエス様です。持っている物すべてを、隣人のために使い果たすことに抵抗がある人は、イエス様と一緒に行動することは無理だと思われます。しかし、それが出来たのならば、明日からでも、イエス様の群れで活動することができますし、イエス様もその議員を群れに招こうとするでしょう。しかし、その議員は大変な金持ちでした。お金を持っている者ほど、それを手放すのが困難です。そもそも、お金をあまり持たない人々は、お金とは無縁な「神様に仕える生活」も平気なのですが、お金がある人は神様にではなく、お金に仕えているのです。この議員は悲しみました。神の国に入れないと宣言されたからです。しかし、それでもお金を手放す気にはなれません。イエス様はそれを見て言います。

『財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。18:25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。』


「金持ちは、神の国に入れない」のでしょうか?幼い時から厳格に律法を守っているこの議員が神の国に入れないのであれば、神の国に入れる人はほとんどいないのではないか? と考えるのは自然です。そもそも、型通りならともかく、真に十戒を守れる人などいないのです。しかしイエス様はそれを否定します。

『人間にはできないことも、神にはできる』 


 神の国に入れるのは、神様がそうなさるからです。議員のように、自分が何か善いことをして、自力で神の国に入ろうとするのは、間違いなのです。神様は、神の国を求める者の祈りを聞いて、私たちを導いてくださるのです。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供は誰も捨てることは出来ません。しかし、神様が、神の国を求める者に対して、その私たちには出来ない事をも成し遂げて下さるのです。そして、私たちは天の国に「何の功績もないまま」招かれるのです。 


2.死と復活の予告

 ルカ9:22,14:14でイエス様は「ご自身の死と復活」の予告をしています。これで3度目です。


3.エリコの近くで盲人をいやす

 ルカ『11:9 そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。11:10 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。11:11 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。11:12 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。11:13 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」』 このみ言葉の通り、盲人は求め、そして与えられました。(同様にルカ18:1-8を参照)