マタイ19:16-30

金持ちの青年


 

1.善い事

一人の男が、永遠の命を得るためにはどんな善いことをしたらよいのかを聞きます。この問いで引っかかるのは、「なにか善いことをしたご褒美で、永遠の命が頂けるのか?」という事です。あたかも、善いことをするほど、寿命が延びるような考えが根底にあるように感じます。イエス様もその点おかしいと思われたのでしょう。善いことをしても永遠の命とは直接関係が無いのです。そうではなくて、イエス様は「善い方(かた)の掟を守れば、命が与えられる」と説明します。

 

2.掟を守る事

「どの掟ですか?」とその男は聞きます。そして、イエス様がモーセの十戒を一つ一つ言います。するとその男(ここから青年に変わっています)は、「掟はみんな守ってきた。何か欠けるところがあるのか?」と聞きます。この言葉にも問題があります。この男の目標は、掟をぎりぎりクリアすることであり、それ以上のことをする必要がないとの考えが見え隠れするわけです。所謂、手段を目標にしてしまっている状態なわけです。手段を目標にしてしまうと、充分な結果が出ただろうかとのチェックが効きません。つまり、型通りやったらおしまい。やったのだから善いことをした。これでは、掟は、誰のためにもなりません。掟は、何のためにあるのかを顧みられていないからです


掟は、人間のためにあります。だれかどこかの人間が善い結果を受け取る事が出来たか? 足りなかったら、さらに他に何ができるのか?と観察しながら、補っていかなければならないものです。

 

3.天に富を積む

 『行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。』と、イエス様はその男に言いました。つまり、この男は、掟を基準にして「善いことをした」事にしてしまって、実際は「掟」以上はこれっぽっちもする気がなかったのです。そして、「掟」以上のことをしない人は、与えることに不熱心ですから、その分富を蓄えることができたのでしょう。そして、少しの富を持つと、それを手放すのが惜しくなり、ますます「掟」以上のことはしなくなります。

 その男は、立ち去りました。富が惜しかったからです。この世の富を否定するイエス様のところに来て、ある程度の捧げものをすれば、永遠の命を与えると言ってくださると思ったのかもしれません。その前提には、その男のところに財産が残ることがあったのでしょう。その男はイエス様に従っていくことができませんでした。

 

4.針の孔

 金持ちが、天国に入ることは難しい。とイエス様は言われました。らくだが、針の穴を通るぐらい難しいと言いますので、ありえもしないこと、つまり金持ちのままでは天国には行けないわけです。

 ペトロが、そこで「あの男は、富を捨てることはできませんでしたが、私たちはすべてを捨ててイエス様に従ってきました」と言います。だから、真っ先に天国に入ることになでしょう?とイエス様に問うたわけです。

 

5.永遠の命

 『わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。19:30 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」』

 イエス様は、ペトロの言う事を受け、「イエス様に従うものは、永遠の命を受け継ぎ、その捨てたものの百倍もの報いを受ける」ことを約束します。しかし、順番については、多くの者は逆になると言われました。早くからイエス様に従っていたから、と言う価値観は地上の物なのでしょう。だとすれば同じように、「先に報いを受けたい」と言うのも地上の価値観です。


 天国では、多くを捨てたものは多くの報いを受けますが、その順番は、後からイエス様に従った者から報われると、イエス様は説明するのです。