コリントの信徒への手紙一15:12-22

初穂となったキリスト

聖書研究


1.復活と体のよみがえり

 イエス様は、私たちの一番大事なもの、それは命であると言いました(ルカ 9:25)。だから、私たちはその命のために教会に集まり、神様の言葉を聞きます。しかし、み言葉を正しく理解しなければ、正しく信じる事が出来ません。また、み言葉によって命が与えられないのです。そして、命が与えられないから、私たちの生活を揺り動かすこともありません。コリントの人々も同じでした。そのコリントの人々にパウロが送った手紙の核心部分が、第一コリント15章です。

 彼ら、コリントの信徒は、ギリシア的な霊魂不滅の考え方から、肉体は滅びると考えていました。だから「死者の体が生き返る」ということが起こるはずはないと言うことです。その彼らにパウロは反論します。「死んだキリストが復活したのだから、死者が復活しないということではない」。キリスト教は、「キリスト・イエスが復活した」、との信仰の上に建てられています。

 イエス様はローマ帝国により十字架刑で処刑され、墓に葬られました。その死んだイエス様が弟子たちに現れたその体験から「イエスは復活された」という復活信仰が生まれました。また、「イエス様の死は私たちの罪のためであった」という信仰が生まれました。この贖罪の信仰と復活の信仰こそ、聖書の語る福音です。パウロはコリントの人々に、あなた方はこの福音を否定しているのか?と問います。

2.復活信仰と日々の生活

 「天国と地獄」は人間の想像の賜物であり、「善人は天国へ、悪人は地獄へ」という半分おだてて、半分脅す指導は、聖書の考え方ではありません。人間の想像するような天国や地獄は存在しないのです。ついでに触れますと、「霊魂不滅」も、聖書的な考え方ではありません。日本人の死生観は「肉体は死んでも魂はあの世に行き、里帰りする」というものです。これは、単に人間の願望(死というこの世の別れを経験しても、霊魂として愛する者たちとの再会を願う)を反映したものに過ぎません。

 パウロはコリント15章の終わりで言います。

『15:58兄弟たち、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです』


 私たちの肉体は朽ちます。クリスチャンも、そうでない人も同じく死にます。しかしキリストを信じる者はよみがえります。復活がないとすれば、私たちの生涯は死で終わり、怯えて暮らすしかありません。「われは身体のよみがえり、とこしえの生命を信ず」、使徒信条の一節です。ここに私たちの信仰がかかっています。そして「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならない」と約束されているのです。


3.復活と言う事実

 パウロはまず一見瑣末な細部を拾って、大きな外枠に結び付けます。ひとりの人間の復活の背景には、すべての人間の復活があります。そのすべての人間の復活の根底にあるのは、ひとりのキリストの復活です。そして、キリストの復活の根本にあるのは、神様はキリストの贖いのみわざを認めてくださった、ということです。この連鎖の中ではどの部分も重要であります。そもそも人は皆、死にます。なぜなら、神様がアダムの罪を罰したからです。それ以来、人類の上には、死が与えられ、そして生みの苦しみも頂いたのです。そして人は皆、死者の中からよみがえるように、神様はしてくださいました。なぜなら、イエス様が世の罪を贖い、そして命を与えてくださるからです。

 神様は、キリストの贖いのみわざを認めたため、キリストを死者の中から復活させたのです。キリストが死者の中から復活したおかげで、人は皆、死者の中から復活する道が開きました。人が皆、目の前で続々と復活するのであれば、クリスチャンは、自分が死者の中から復活すると確信するでしょう。しかし、まだその時ではありません。この復活の連鎖の中のどれかひとつでも不安のある者は、連鎖全体の働きを否定することになります。人は皆復活する。このことを信じない者は、キリストの贖いのみわざも、神様がキリストを遣わされたことをも否定することになります。これでは、信仰の基本の基本が否定されているようです。

 このようにパウロによれば、復活をなくしては、キリスト教は決して存在しえないのです。もしも復活を忘れたり否定したりする場合には、イエス様の復活も、イエス様の十字架の贖いの業も、私たちの復活も、私たちの罪の贖いも そのすべてを否定することになるからです。 

 イエス・キリストの復活が歴史上の事実であるという真理こそ、私たちキリスト者にとって救いの確かな保証となっています。復活によって、イエス様が天から降って来た神の御子キリストであることが、証明されました。イエス様が罪の力=死の力を打ち破ったと信じている。だから、私たちは、罪が贖われ永遠の命が与えられていることを、確信できるのです。

 イエス様の復活は「初穂」です。イエスは「第二のアダム」「新しいアダム」となりました。イエスは、彼をキリストと信じる者たちに、新しい永遠の命を与えて、霊的に新生させます。 多くのギリシア人は肉体を悪、霊魂を善と見て、「肉体は霊魂を閉じ込める牢獄だ。死によって霊魂がそこから解放されることが救いだ」と考えました。しかし聖書は、肉体も神が創造した善いものだ、と教えます。私たちは死んでも、キリストが再臨される時に、肉体が復活して、キリストと同様に永遠の栄光の体に変えられます。この世にあっては、誰もが多くの問題にぶつかり、悩みが絶えません。けれどもイエス・キリストは今も生きておられ、どこまでも私たちと共にいてくださいます。