コリントの信徒への手紙1:1-11

この慰めによって


 この書簡は、フィリピかテサロニケで紀元58年の初頭に書かれたものと考えられています。この手紙をコリントへ届けたのはおそらくテトスであったと思われます。第一の手紙との違いは、この手紙はコリントの共同体のメンバーのみならず、アカイア州の全域の共同体に宛てられた(1:1)書簡であるということです。

この手紙を届けた後、約三か月パウロはコリントに滞在します。

使徒(アポストロス:ἀπόστολος)とは、イエス様の12弟子のことを指す言葉ではありません。メッセンジャーであるとか、派遣された人との意味です。パウロの場合、「特に福音を宣べ伝えるためにイエス・キリストご自身によって派遣された人。」であることを主張しています。理由は12弟子でもなく、12弟子から按手を受けたわけでもなく、ただ「復活したイエス・キリストによって」伝道のために立てられたからです。


1.慰めとは

 「慰め」と「苦難」は密接な関係を持っています。パウロがここで「慰め」を多く使っているのは、耐え難いほどの苦難を経験しながらも、それに耐えたことに確信を持ったからです。そしてパウロは、神様に感謝をささげます。

『1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように』

  神様は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。 けれども、苦しみは神様の慰めを知るためにあるのではありません。私たちも、自分自身が神様から受ける慰めによって、どのような人も慰められるようになるためなのです。

 人は、いや神様でさえも、苦しむことなしに、他の人を慰めることはできません。慰めを与えるためには、似たような苦しい経験をして慰められることが必要です。同じ慰めを体験していないままで、苦しんでいる人にその原因を聞いても、理解できないのです。しかし、一度同じ苦しみと慰めが与えられているならば、私たちは苦しんでいる原因を記憶しているのです。ですから、その人に希望と神様のご計画を伝えることが出来ます。だから、同じ苦しみを知っている者にしかその神様の御計画を指し示すことができません。それだから、苦しんだ経験は、とても尊いのです。

 『1:5 キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。』

 パウロのエルサレム伝道では、仲間のユダヤ人に福音を伝えることができず、むしろ騒ぎが起こってしまいました。同胞のユダヤ人に福音を伝えることができるのは、自分だとパウロは自負していました。けれども、失敗したのです。しかし、イエス様はそんなパウロに「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。(使徒23:11)」と言いました。これはキリストの慰めです。これは、イエス様が同じような苦しみを受けたからこそ語った慰めであります。

 『1:6 わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。』

 慰めたり励ましたりすることだけではなく、慰めを共有している、ともパウロは言っています。ともに痛み、ともに苦しむということも教会の奉仕の一つなのです。ただともにいること、いっしょにいることが教会の働きの一つになるのです。

2.救い出す神様

 パウロは苦しみによって、慰めの神様を知っただけではありません。自分を救い出す神様を知りました。パウロが、アジア州のどこで受けた苦難を指して言っているのかは、分かりません。おそらく、エフェソで起こった暴動のことを指しているかもしれません。(エフェソの劇場にパウロを非難する人たちがなだれこみ、町中が大騒ぎになりました使徒19:21-40) 他にもパウロは死の危険をいくつも味わっています。パウロはそのときに、自分は何度も死ぬことを覚悟しました。

 『それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。』  

 パウロが死を覚悟したとき、もはや自分ではどうしようもできないと認めました。そのときに、神様は私たちを助けてくださるのです。自分を生かそうと思うのではなく、自分を神様に委ねることによってです。神様が私たちを生かしてくださいます。けれども、私たちは、どうしても自分の奮闘によって自分を救い出そうとします。 一方で、力尽きて、覚悟を決めたとします。すると、神様はそこから救い出してくださいます。そして、パウロは、度重なる命の危険の経験から、この神様の救いに確信を持つようになります。

 そしてパウロはふたたび、この経験を奉仕者としての祈りの働きに結びつけます。

『1:11 あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです。』

 コリントの教会の人々がパウロのために祈りをささげるようになります。その祈りを神様が聞いてくださることによって、教会に神様の恵みのわざをもたらすのです。