イザヤ書27:2-6

私と和解するがよい 

参考:27:1 その日、主は/厳しく、大きく、強い剣をもって/逃げる蛇レビヤタン/曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し/また海にいる竜を殺される。

1.海の獣レビヤタン

 レビヤタンは、神に敵対する悪の勢力を象徴しています。イザヤの時代背景から言えば、アッシリヤのことであり、バビロンのことであり、またエジプトのことです。すなわち、神の民であるイスラエルを脅かしていた勢力です。また、終末との関係で言えば、悪魔、サタンのことであり、反キリストのことになります。

黙示録『12:9 この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。』

 この「巨大な竜」は悪魔とか、サタンとか呼ばれていて、古い蛇とも言われています。

黙示録『13:1 わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。』

 これは反キリストのことです。反キリストは一匹の獣と言われているように獣のような存在で、神に汚しごとを言って42か月(13:5)の間ひどいことをするわけです。この海は地中海のことを指しています。ローマの文化圏で、この獣が出るということです。やがて世の終わりには、こうした悪魔、サタン、反キリストといった神に敵対する勢力が猛威をふるいますが、主は鋭い剣でこれらに勝利するのです。

2.イスラエルの回復

 この記事は、「世の終わりにイスラエルがどのように回復するか」との預言であります。「ぶどう畑」とはイスラエルのことです。しかも、「見事なぶどう畑」であります。イスラエルが良い実を結び、神様がそれを喜んでおられるのです。そして、「見事なぶどう畑」をそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている。「わたしはもう怒らない。」と。もし、イスラエルに敵対する者があれば、神が守ってくださいます。「いばらとおどろ」とは「のろいとさばき」の象徴です。葡萄畑が、「いばらとおどろ」が押し茂ってくれば、神様が踏みつぶし、焼き払ってくださいます。神様の怒りはイエス様が十字架で負ってくださったので、すでに私たちは神様の怒りの対象ではありません。決してさばかれることはありません。もう神様の怒りを恐れる必要はないのです。私たちには神様の完全な守りがあるのです。

 ですから、大切なのは、神様と和解することです。ただ、私たちが人との間で結ぶ和解とは異なります。人と人との和解とは、利害関係がぶつかるなどして、争いが起きているときに、双方の利害を調整して妥協し、争いをやめることです。そこには和解を仲裁する人もいるかもしれません。いずれにしても、双方の我満(デメリット)によって平和(メリット)を得ることを目指します。一方で神様との和解には、イエス様という仲裁者がいます。そして、イエス様に仲裁を願いすると、必ず和解がもたらされます。また、その和解のために払う犠牲は、何もないのです。

 イエス・キリストによってのみ罪の赦しが与えられ、神様との平和がもたらされるのです。もし神様との和解がなかったら平安がありません。常に罪に悩まされ不安になります。死んだら天国に行けないかもしれない・・・と悩むのです。しかし、イエス・キリストを信じて神様と和解した人は、すべての罪が赦されます。もう罪に悩むことはありません。私たちの罪はイエス様が十字架で負ってくださったので、このイエス様によって神様のみもとに行くことができるのです。私たちはもはや神の怒りの対象ではありません。神の愛の対象なのです。何によって自分を守ろうとしていますか? ほんとうに守ってくださるのは神様であります。神様と和解することによって、私たちが生き生きとなるように、神様が見守ってくださるのです。

 そればかりではありません。神様はそのような人を豊かに祝福してくださることがわかります。皆さん、時が来れば、実を結ぶのです。そのためにはまず根を張らなければなりません。地中深く根を張っていくのです。そうすると芽を出し、花を咲かせ、実を結ぶようになります。ここではただ実を結ぶようになるというのではなく、世界の面に実を満たすとあります。その実を世界中に満たすようになるわけです。

『27:6 時が来れば、ヤコブは根を下ろし/イスラエルは芽を出し、花を咲かせ/地上をその実りで満たす。』

 ここではただ実を結ぶようになるというのではなく、「地上をその実りでを満たす」とあります。見事なぶどう畑、イスラエルはその見事な実となり、世界中に満ちるようになるわけです。

 しかし、ここで注意しなければならないのは、そのためには待つことが必要なことです。ここには「時が来れば」とあります。実を結ぶには時が必要です。待たなければならないのです。農家の方はそのことがよくわかっています。収穫に至るまでには時間がかかります。種を蒔いて、芽が出て、花が咲いて、しっかりと実を結ぶまで待たなければなりません。

 私たちはクリスチャンとして自分を見つめてみると、信仰を持つ前とあまり変わらないことに気がつきます。まずは、しっかり信仰の根を降ろさなければなりません。今、私たちは種から芽を出したところです。そして、神様は水を撒いてくださっています。根をしっかり畑に降ろして、そして茎が伸び、葉がひとつふたつとでき、そして背が伸びてきます。また、弦が出てきて、しっかりと支柱をつかみ、上へ上へと伸び始めます。そして、たくさん葉をつけた時に、つぼみができ、花となり、そして実となっていきます。農夫である神様は、その間中私たちの世話をしています。そして、成長を喜んで見守っています。

 私たちの成長は遅いのです。だから、世の終わりの時まで、まだまだ時間が必要です。そして、慌てることはありません。神様がしっかり見守っています。「善いことが出来るように」イエス様にとりなしをお願いして、神様に導いて頂きましょう。私たちは、イエス様のとりなしによって、神様と和解しました。だから、神様に信頼して、ゆっくり時間をかけて変えられていくことを、神様に委ねていきたいものです。