イザヤ書7:10-14

その名はインマヌエル

アハズ王:? - 紀元前715年、在位:紀元前735年 - 紀元前715年 ユダ王国の王。

「アハズは20歳で王となり、16年間エルサレムで王位にあった」(列王記下16:1、歴代誌下28:1)

 アッシリアに対して臣従の姿勢を貫いたが、その事と関係して旧約聖書では背教者的に記述される。実際にアハズは、親アッシリア政策の一環としてアッシリアの神々の崇拝をユダに導入したため、偶像崇拝を容認した悪い王とされている。

 紀元前734年頃、アッシリア王ティグラト・ピレセル3世がシリア方面に進軍したために、アッシリアに臣従の姿勢を取り、貢納を収めた。同時期にアッシリアに服属したダマスコ(シリア)やイスラエル(エフライム)等が同盟を結んで反アッシリアの姿勢を取った。これに対しアハズが親アッシリア政策を維持したため、ダマスコ王レツィンとイスラエル王ペカ・ベン・レマリヤは共謀してアハズ廃位を画策しユダ王国を攻撃した(シリア・エフライム戦争、列下16:5-6、歴下28:5-8)。エルサレムが包囲されるに至って、アハズは預言者イザヤ等の反対を押し切り、アッシリア王に属王の礼を取って援軍を求め、見返りの貢納を収めた(列下16:7-8、イザヤ書7章)。アッシリア王は直ちにダマスコとイスラエルを攻撃してダマスコを征服し、イスラエル領土の大半を併合した。


1.しるしを求めよ

 シリア・エフライム戦争で、エルサレムが敵軍に囲まれてしまいました。アハズ王はかなり動揺したようです。この時神様は、このようにイザヤに預言させています。

『7:5 アラムがエフライムとレマルヤの子を語らって、あなたに対して災いを謀り、7:6 『ユダに攻め上って脅かし、我々に従わせ、タベアルの子をそこに王として即位させよう』と言っているが、7:7 主なる神はこう言われる。それは実現せず、成就しない。』

 つまり神様を信頼していれば、エルサレムが落ちることはなく、慌てることはないと告げたわけです。しかし、アハズ王はその言葉を信じません。それを見透かされたのでしょう。神様は言います。

『7:11 「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」』

しるし:「奇跡」「しるし」「不思議な業」、この三つの言葉は同様の意味で、しばしば一緒に用いられている。いずれも、人間の理解を超える、驚くべきことであるが,神の力とその支配を示すしるしを意味する。


 「しるしを求めよ」とは、「神様の約束・予告が信じられないなら、神様の持つ力を示すので、何でもよいから、奇跡を起こすように要求しなさい」と言う意味です。例えば、モーセが召されたとき、しるしを与えられました。それは、神様から与えられたモーセの権威を示すためでした。


『4:1 モーセは逆らって、「それでも彼らは、『主がお前などに現れるはずがない』と言って、信用せず、わたしの言うことを聞かないでしょう」と言うと、4:2 主は彼に、「あなたが手に持っているものは何か」と言われた。彼が、「杖です」と答えると、4:3 主は、「それを地面に投げよ」と言われた。彼が杖を地面に投げると、それが蛇になったのでモーセは飛びのいた。』

アハズ王は、神様のしるしを求めませんでした。それは、「神様」にではなく自分自身を含めた「人」に頼ることを示します。アハズは、結局アッシリア王の臣下として、貢納を納めることを選びました。

「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」とのアハズ王の言葉は、神様を拒否した「しるし」であります。(「私を試しなさい」との趣旨の神様の言葉を拒否して、言い訳をしているものです)


2.それでも神様はしるしを・・・

 イザヤは、アハズの不信仰を知って、もはや神様の忍耐のときが過ぎ、神様が審きをもって来られることを確信します。イザヤは、アハズ王とその側近の者に向かって、あらわに言います。

『ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に/もどかしい思いをさせるだけでは足りず/わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。』

 それでも、しるしを求めないアハズにむかって、しるしが与えられることを預言します。

『わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。』

 主が自ら彼らにしるしを与えられると告げ、イザヤはインマヌエルの預言をしています。ここでは、その預言は、主にしるしを求めない者に与えられるしるしとして語られています。主を信じない者は、裁かれるほかありません。しかし、主はその背信の民をなお愛し続ける、インマヌエルの神としてご自身を示されます。それは、ご自身をインマヌエル「神はわたしたちと共におられる」ようにとの約束であります。しかし、それは当時の人々が一般に理解したのとは全く違う意味で語られました。

 この預言がなされたとき、インマヌエル(「神はわたしたちと共におられる」)は、歓喜と勝利の歌声として理解されていました。アハズはシリヤ・エフライム同盟軍からの脅威をかわすために、彼らが最も恐れるアッシリアと手を結び、勝利し、その脅威からユダ王国を解放することに成功しました。その時、シリヤ・エフライムの脅威からの解放は、正にそのしるしの成就だと思って人々は心の底から歓声を上げて喜んだことでしょう。本当の意味でのインマヌエルは、イエス・キリストの出現まで待たねばなりません。罪をもって逆らう者に、恵みを施し、その者たちの共に、神様はご自身を置くことを約束します。この神様の約束こそ、私たちの救いであり、希望です。