ルカ1:5-25

 ヨハネの誕生予告 2

  

1.名前のいわれ

 ルカは、献呈にある通り、順序だてしています。つまり、最初に出てくるもの程神聖であるわけです。

ザカリヤという名-この名,イスラエルの歴史の中で,エホヤダの子(歴代下 24:20)やバビロン捕囚からの帰還の預言者など,多くの者が名乗りました。

アビア組-このように訳されたギリシャ語は、祭司の「組」で、安息日から安息日まで奉仕するという輪番を意味しています。歴代上24:10には、アビアまたはアビヤにちなんで、ダビデがエレアザルとイタマルの家を分割した24組のうちの8番目の組として登場しています。

 捕囚からの最初の帰還の際、エルサレムに戻ってきたのは、このうちの四つの組だけです(エズラ2:36-39)が、アビヤの名はその中にありません。しかし、この名前は後の記事(ネヘミヤ10:7; ネヘミヤ12:4; ネヘミヤ12:17)に現れており、残りの20組はすぐに編成し直されたと思われます。


 エリサベト-ザカリヤの妻はアロンの娘たちの一人でありました。祭司は、妻の出自に関する一定の制限のもとに、自分の身分の範囲外の女性と自由に結婚することができた(レビ記21:7)ので、両親ともが祭司の子孫であるという事実、加えて最初の大祭司アロンの子孫であることは注目に値するものです。エリサベトとは、エリシェバという名前-ユダ族のアロンの妻が持っていたヘブライ語の名前(出エジプト6:23)を由来とします。当然ながら祭司階級の娘たちの間では尊ばれた名前でした。 参考)この名前から派生したのは、祭司エホヤダの妻エホシェバ(列王下 11:2)に見られます。(エルからエホバに置き換えられ、変化した形で現れています。)


2.バプテスマのヨハネの誕生

 バプテスマのヨハネの父と母は、皆と同じように罪人ではありますが、他の祭司と同じように義とされていました。一方で、彼らは信心深さと誠実さで際立っていました。夫婦には子供がなく、エリサベトも齢をとったために、もはや子供を持つことは期待できませんでした。ザカリヤが神殿で香をたいている間、民衆は皆、神殿の外で祈っていました。

 私たちが神様にささげるすべての祈りは、キリストの執り成しによってのみ受け入れられ、成功するのです。もし私たちが祈らず、もしくは魂を込めて祈らないように 真剣な祈りでないのであれば、そこに結果を期待することはできません。また、私たちの最高の祈りが受け入れられ、平和の答えがもたらされることも、常に生きておられるキリストが執り成しをしてくださることによってのみ期待できるのです。

 ザカリヤ祈りは、ザカリヤに平安をもたらしました。信仰の祈りは、天に届いて、忘れられることはありません。若くして世に出たころの祈りは、年老いて世を去るころには結果が出るのかもしれません。祈りに答えて頂くと言う慈しみは、二重の喜びなのです。ザカリヤの祈りは老年になって息子を持ち、その息子は多くの人々の魂を神様に立ち帰らせ、人々のキリストの福音を受け入れる準備をさせるのに役立つのです。彼は勇気と熱意と聖さを持ち、地上の利益や快楽にとらわれない心で、神様の前に出るのだと思われるからです。不従順な者、反抗的な者は、正しい先祖の知恵に立ち戻らされ、むしろ、彼らの間に来られるその正しい方の知恵に耳を傾けるようにされるのでした。

 ザカリヤは天使が言ったことをすべて聞きましたが、彼の不信仰が口をついて出てしまいました。ザカリヤは天使の言葉をすべて聞いて、神様の言葉に反対したので、神様は彼を打ちのめすことによって、彼に報いたのです。私たちは、私たちに対する神様の忍耐に驚きをもちます。神様は彼に親切に対処されました。彼がこれ以上、不信仰な言葉を口にするのを防がれたからです。

 こうして、神様は彼の信仰を確認されたのです。もし、私たちが自分の罪について叱責されることによって、神様の言葉をより信用するようになるなら、文句を言う理由はありません。しかし、不信仰のために神様の名誉を傷つけることがあります。もし、そうなってしまったならば、喜びと感謝をもって神様を賛美するはずの彼らの口は混乱の中に陥ってしまいます。神様の私たちに対する恵み深い扱いにおいては、私たちは神様の恵み深い配慮に気が付く必要があります。神様は私たちを憐れみと好意をもって見ておられ、それゆえ私たちにこのように対処されたのです。