詩編119:9-16

掟を楽しみに

2021年 1月 17日 主日礼拝

『掟を楽しみに』

聖書 詩編119:9-16 

 今日は、アルファベットの歌から学びます。北原白秋という福岡県柳川市出身の詩人がいますが、かれは「五十音」という詩を書いています。活舌を良くするための練習によく使われるそうです。

少しだけ紹介しますと。

あめんぼ あかいな アイウエオ

うきもに こえびも およいでる

かきのき くりのき カキクケコ

きつつき こつこつ かれけやき

 他にも、言葉のあそびはカルタなどが挙げられます。日本のかるたは「あいうえお」の五十音を最初の文字に使っていますが、これと同じように、今日の御言葉である詩編の119編は造られています。

この119編の表題に「アルファベットによる詩」とある通り、アレフא、ベトב、ギメルג、と書かれているのはヘブル語のアルファベット(正式にはアレフベト、あるいはアーレフベートともいいます。)なのです。アレフが英語のA、ベトが英語のB、ギメルが英語のGに相当します。

 

 この119編のすべての節のはじめは、すべて指定されたアルファベットではじまります。たとえば、1節から8節までの各節はすべてアレフの文字ではじまります。同様に、9節から16節まではすべてベトの文字ではじまります。いわばヘブル語版「いろはかるた」のような、遊び心を加えた詩ということです。

 そして、日本の「いろは」が手習い歌と呼ばれ、文字を覚えることに使われたように、アルファベットの歌は、御言葉を教えるという教育目的があったのだと思われます。そのようなことから、詩編119編を含め、詩編にはアルファベットの歌が9つもあります。(9篇、10篇、25篇、34篇、37篇、 111篇 、112篇、119篇、145篇)

それから、アルファベットを使った御言葉は、それぞれ8節と決められています。

それぞれの節は、最初にテーマにする「律法」、そして、テーマに対して応答が7回続きます。(「律法」は、神様の「教え」を指します。「定め」、「掟」、「戒め」、「正しい裁き」は、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記に出てくる、要求と禁止を指します。「言葉」は、神のおっしゃった預言にかかわることです。「命令」は、「神様の命令」、そして「約束」は、「神様へのお願いと約束」です。)

 このように、アルファベット22文字それぞれに8つの歌で、神様の教えをいろいろな角度から歌ったのです。この歌い方は、「聖書の中の聖書」と呼ばれる詩編119編には、相応しいものだと思います。

 

 今日の聖書の箇所 アルファベットBの 8つの歌を読み取ってみますと、次の通りになります。

9節は、「教え」です。ここでは、「神様の御言葉どおりに道を保つ」ことです。そして、9節から16節まで、この「教え」について歌います。

10節から12節には、神様の「定め、掟、戒め」つまり律法に出てくる「要求」と「禁止」が挙げられています。

13節には「正しい裁き」

14節には、「神様の定め」

15節には、「神様の命令」

16節は、「神様への約束」について歌われています。

このように、同じアルファベットで始まるように、1つの「教え」について8つの歌を歌うわけです。8回重ねることで、教えへの思いや、願いが、折り重なって歌い表されます。

 

 今日のみ言葉は、「あなたの御言葉どおりに道を保つ」との教えを、歌ったものです。このみ言葉通りに、人はみな神様の教えに従いたいとは願っていますが、私たちは誘惑に負けてしまいます。神様の教えを守り続けることは、なかなかできることではありません。それでも、神様の戒め、掟、定めを愛して守っていき生活を守りたい。その思いがこの8節全体で歌われているのです。特に各アルファベットの歌の最後、8つ目の歌にあたる「神様への約束」には、神様への願いが詰まっています。

詩編『119-16わたしはあなたの掟を楽しみとし/御言葉を決して忘れません。

けなげな約束の言葉ですが、この約束は頑張り過ぎなのかもしれません。そもそも「御言葉どおりに道を保つ」ことができていないので、このようにありたいと歌った歌なのですから。・・・つまり、「御言葉どおりに道を保つ」ことをやりきる確信は無いのだと思います。そこに、「掟を楽しみ」にし、「御言葉を決して忘れない」という強い「あこがれ」のもとに約束をしているのです。これは、具体的な対策が伴わない「あこがれ」ですから、「精神論」ということになってしまいます。それでも、それでも  あえて「努力する」ことを約束したいと、祈りをもって歌ったわけです。

もちろん、「掟が楽しくなかった」とか「御言葉を忘れていた」のが原因であったならば、その原因を克服する努力は効果があります。しかし、その努力をもっても、あらゆる誘惑の前に「過ちを犯さない」とは言い切れないのが私たちです。いつも信仰に喜びを持ち、生き生きとした信仰生活を守り通すという事は、難しいことです。また、体調の良い時悪い時、熱心な時とそうではない時、喜んでいるときと悲しんでいるとき、その時々すべてで、その誘惑との戦いに勝ち続けることはさらに難しいです。ですから、私たちは神様の力で 「変えられるよう」お願いし、そのための努力を祈りながら約束しているわけです。


 詩編119編の全てをここで読むわけにいきませんので、最初の三つのアルファベットの歌で、その祈りながらの「約束」(中身はお願いと約束:つまり契約)を見てみましょう。

アレフでは、「あなたの掟を守ります。どうか、お見捨てにならないでください。」

ベトでは、「わたしはあなたの掟を楽しみとし/御言葉を決して忘れません。」

ギメルでは、「あなたの定めはわたしの楽しみです。わたしに良い考えを与えてくれます。」

 

 このように、アルファベットの歌は22回にわたって、神様の教えについて、それを守り続けることができるように、教えと向き合って、戦っているのです。そして、その度に決意表明をし、そして神様に変えられることをお願いし、祈ります。そして、それを繰り返すわけです。旧約聖書の時代から、信仰の先輩たちは祈り続けてきました。それなのに、今に時代が変わっても、この戦いは私たちの大きな関心事で、解決されていません。科学や経済が進歩しても、信仰的にはあまり進歩がなかったのでしょうか?現代でも、神様の教えに従い、その道から逸れないようにすることは、相変わらず大変なことです。現在は、情報量が多いため、誘惑を受ける機会も多いものですから、さらに難しさは増しているのかもしれません。

 

 神様の教えは、モーセを通して、イスラエルの民に与えられた神さまの掟です。よく知られた十戒を始め、たくさんの掟があります。ユダヤ教では「旧約聖書には600余り(613)の律法」があると しているそうです。

それに対して、キリスト教会では、旧約聖書の律法を読む機会は、それほどないと思います。なぜかと言いますと、イエス様は、「掟は、ただ二つのことに基づいて記されている」ということを教えてくださったからです。

参考:【マタイによる福音書22章37-40節《イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』/これが最も重要な第一の掟である。/第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』/律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」》】

 

  イエス様は数ある律法の中から、二つの掟を取り上げられました。一つは、申命記6章5節に記されている「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」です。そしてこの掟とおなじように大切なものとして、レビ記19章18節の「隣人を自分のように愛しなさい」という掟を取り上げられました。そして、たくさんある律法も、この二つのことに基づいているとイエス様はお教えになりました。ですから、私たちは600もの律法を学ぶよりも、イエス様の教えを理解して、従うことを大事にしています。

 

申命記『6:5心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい

この掟は、難しいです。一体何をすればよいのでしょうか?何をしてはいけないのでしょうか?そして、どうやれば何時も神様を一番に愛することになるのでしょうか? その反対で、私たちは、どこまで自分のことを犠牲にしなければならないのでしょうか? 考えると考える程、わからなくなってきます。そして、この掟に答えようとしても、今できること以上のことはできません。それだけではありません。今できる事の極限のところを保つことは、心が折れたり、誘惑に負けたりしてしまう原因になってしまうでしょう。

そして、「隣人を自分のように愛しなさい」。この掟も同じです。 残念ながら、私たち人間には、欲がありますから、すべてを神様のためにそして隣人のために捧げることは難しいのです。そして、無理をして頑張りすぎると心が折れてしまいます。

今日の聖書の箇所では、神様の教えについて、その様にできないことを振り返りながら、神様に約束をしながら、一緒に神様に助けを求めているのです。


 時が現代になって、私たちにイエス様が与えられた掟は、二つだけ。それなのに、私たちはその掟に答えることが、難しいのです。

イエス様は、この2つのことを私たちがやり遂げられると考えておられるのでしょうか? 残念ながら私たちの力は、そして心はそんなに強くはありません。祈り続けて、イエス様が聖霊を送られるのを待つ。これ以外、良い考えはうかびません。


さて、

2021年度の準備のため、先週の執事会でいろいろなことを話し合いました。神様は、私たちに経堂バプテスト教会をお与えになり、この地での伝道を任されました。私たちは、その恵みに与るとともに、その神様の業を成し遂げていく使命があります。しかし、現在会員の人数、財政などの規模面を見ると、とても力が足りません。それでも、私たちのできる範囲のことはしっかりやっていきたいと思います。そしてコロナ過の中ですので、無理をしない範囲という事になります。これらの計画は、3月に2021年度活動計画として提案し、5月に予定する総会で審議をしていただきます。2月には、信徒会を開いてその提案内容を協議したいと思います。教会の現実は踏まえたうえで、私たちは神様から託されている使命をどのように果たしていくのかを祈って求めてまいりましょう。

 もしかして、無理かなぁ と 少しだけでも思われていたら、この言葉で元気づけられると思います。皆さんご存じのマザー・テレサの言葉です。

「神様は私たちに、成功てほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することを望んでいるだけです」

マザー・テレサ

 

このマザー・テレサの言う挑戦とは、イエス様の二つの掟の事と、とらえたいですね。

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」です。この二つの掟に基づいて、そして掟を楽しみにしながら、私たちの信仰で挑戦して参りましょう。私たちの力は、そのためには十分ではありませんが、イエス様に祈って求めてまいりましょう。