ヨナ4:1-11

ヨナのしるし

2024年 623日 主日礼拝

ヨナのしるし

聖書 ヨナ4:1-11

 今日は、アッシリアに派遣された預言者ヨナの物語から御言葉を取り次ぎます。ヨナ書は、旧約聖書の中でも良く知られています。と言うのは、イエス様のこの言葉があるからです。

『ヨナのしるしのほかは、しるしは与えられない』(マタイ12:41、16:4、ルカ11:29) この「しるし」とは、ヨナが魚に飲み込まれて三日三晩 闇の中で祈って過ごし、そしてこの地上に戻ってきたことです。つまり、イエス様の受難と復活を予告したこの物語こそが、ヨナのしるしなのです。

『ヨナ書』によれば、アミタイの子ヨナに、「主の言葉」が臨みました。

『1:2 「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」』 具体的には、ニネべの町への警告であります。

 古代メソポタミア文明の最北端にあったアッシリアは、古代オリエントを統一する(紀元前671年)ほどの勢いがありました。実際、その統一の過程で、アッシリアは紀元前722年に、北イスラエルを滅ぼします。そして、そのアッシリアも新バビロニア帝国に破れ、首都ニネベも陥落しました。それが紀元前612年です。ヨナは、このニネべ陥落までを見たかったことでしょう。しかしヨナは、北イスラエルの滅亡も、ニネべの陥落も見ることはありませんでした。ヨナの生きた時代は、それよりも150年くらい前だからです。ヨナの仕えた王様は、ヤロブアム2世(在位BC786-BC746)で、この時北イスラエルは最盛期を迎えています。(列王記下14:25)そのころニネベの町はアッシリア帝国の新しい首都になりました。またニネべは、当時世界最大級の町でもあります。一方で、当時北イスラエルもそれに匹敵する以上の強国であり、最も勢いのある時代でありました。ですから、「ニネベは滅びる」との預言は、イスラエルがアッシリアを滅ぼすとの宣言であります。ヨナはこの預言を拒否していました。そして、ヨナは神様から逃げだします。世界のはてであるタルシシュへ向かう船に乗ったのです。タルシシュは、今のスペイン近辺だと言われています。ソロモンの時代から、交易があり、3年に一度ヤッファからタルシシュ行の船が出ていました。(王上10:22)ヨナが乗ったのは特別な交易船ですから、もっとも大航海に向いています。ところが、その安全なはずの船はすさまじい嵐に襲われ、難破しそうになります。神様は、ヨナの逃亡を阻止するために嵐を起こしたのです。そこで身の危険を感じた船員たちは「嵐の原因を作ったのは誰か?」を調べました。その調査方法は、籤引きです。神様の意志で籤が当たると信じられていたからです。そして当然のように、ヨナは籤を引き当てました。ヨナから事情を聞いた船乗りたちは、嵐から助かるためにヨナを海に放り込みます。すると、海は静まりました。そして神様は、そのヨナを巨大な魚に命じて、呑み込ませます。

 魚にのまれたヨナは、3日3晩魚のおなかの中で祈りました。そして、巨大な魚はヨナを吐き出します。この後、神様の命令に従って、ヨナはニネベに向かいます。そして、「あと40日したらニネベは滅びる。」と預言して廻りました。このとき、異教徒であるニネヴェの民は、悔い改めます。そして、人々は「ニネべに災いを起こさない」ように、ひたすらに神様に祈ったのです。結果として、40日を待たずして神様は災いを下すのをやめます。それが、今日の箇所までの概要であります。

 ヨナは、ニネヴェでの預言に不満を持っていました。

『4:1 ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。』とあります。ここで、ヨナが怒ったのは、最初にニネべ行きを拒否したことと関係がありそうです。ヨナは、こんな不満を神様にぶつけます。

『4:2 彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。4:3 主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」』

 ヨナの言うことをそのまま受け止めますと、ヨナはニネベの町が悔い改める事を、予測していたようです。また、神様がそのニネべの町を滅ぼさないだろうと確信してもいたわけです。なぜなら神様が、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方だとヨナは知っていたからです。たしかに、このニネべの町の人々が罪を犯しました。もし、ニネべの人々が悔い改めたならば、神様は、ニネべの町を滅ぼさないでしょう。すると、「ニネべが滅びる」という預言は、成就しないのです。つまり、ヨナは嘘の預言をしたことになってしまいます。だから、ヨナはニネべでの預言を拒否してきたのです。また、ヨナはこんなことを考えたと思われます。「ニネべの人々に警告して、彼らが悔い改めたとして、長続きするのだろうか? どうせ、また罪を犯すならば、今滅ぼした方がましではないか? と・・・」

 神様は、ニネべの町を思いやって、滅ぼさない。ヨナは、そう確信していました。しかも、その神様の降すだろう結論に、不満だったのです。だからヨナは、一度は逃げました。でも、ヨナは大きな魚の中に獲らえられ、変えられたのです。ヨナがその大きな魚の中にいた間神様に祈ったからです。それは、「神様のみ旨のままになりますように」・・・と言う祈りだったと思います。ヨナは、祈りの結果として、ニネべでの預言を受け入れたのです。神様のみ旨は、「罪を犯した者であっても、助けたい」と言うことだと。・・・そして、ヨナは、大きな魚のお腹の中で「み旨のままに」と祈りました。 

 さて、ニネべは滅びるとのヨナの預言で、ニネべの人々は悔い改めるでしょうか? その結果どうなるか?。 だれでも、興味があると思います。

 歴史的事実は、明確です。紀元前612年ニネべは新バビロニアの攻撃の前に陥落します。そして、記憶として残ったのは、「神様は、この滅ぼすべきニネべを惜しんだ」事実であります。そして、神様が一度は滅ぼすことをためらったニネべも、場ボロンによって滅ぼされたのです。

 もともと、神様の憐れみの手が異教徒に差し伸べられること、そしてヨナ自身がその使者となることを、ヨナは不快に思っていました。ヨナは一度逃げましたが、神様につかまると、神様から遣わされた使者としてニネべで預言しました。そして今、ヨナの「40日したらニネべが滅びる」との預言は「嘘偽り」になろうとしています。ヨナの預言を聞いた異教徒が神様を恐れて悔い改め、神様は赦そうとしているからです。神様の赦しは、ヨナにとって 予想通りで、そして不本意だったのです。だからヨナは、一度は神様の命令を引き受けることを拒否して、死ぬことを願ったくらいだったのです(1-3)。


 ニネべの町中に預言したヨナは、人々に伝え終えると、ニネベの成り行きを見極めようとします。そこで、町の東に小屋を建て、座って見物することにしました。 ヨナは、町を出てすぐ近くの所に小屋を建て、四十日が過ぎるまで、ニネベの運命を見守ります。四十日とは、ユダヤでは裁きの期間を指します。神様はニネべの町を裁かない。ヨナはそれを見届けようとしたわけです。そこで神様は、ヨナ本人を主役とした「譬え話」を用意します。

まず神様は、暑さで苦しまないように とうごまの木を育ててヨナに日陰を作ってあげました。

ヨナはこのとうごまをたいへん喜びましたが、神様はすぐ翌日に、そのとうごまを虫に食べさせて、枯らしてしまいます。こうして、ヨナのささやかな喜びは一瞬で 取り去られてしまいました。

『4:8 日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」』

 とうごまの木のことで「生きるよりも死ぬ方がましです。」と怒るヨナに対して、 神様は、このような対話をします。

『4:9 神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」』

 「私は正しい」そして「神様はひどいことをなさる」。ヨナは、そのように答えました。これは、神様への非難です。罪に当たるかもしれません。同じような状況での記事が ヨブ記にもあります。この神様の答えは厳しいものです。

ヨブ記『38:1 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。38:2 これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸を暗くするとは。』

 神様の与えた苦難に対して、知識がないまま怒っているあなたは、いったい何者なのですか?あなたは、いつ裁く側になったのですか?・・・この問いは、重たいものです。神様の定めたことを否定することは、その時点ですでに有罪であります。さらに、私たちはその犯した罪の程度を軽くしようとして、そしてあわよくば自分を無罪とするために、神様の定めた事を裁こうとします。(ヨブ記40:8) ヨナは、とうごまでできた日陰を喜んでいました。神様の心遣いを喜んで受け止めたのです。しかし、その恵みに与りながら、そのとうごまが枯れると、ヨナは怒ります。「怒りのあまり死にたいくらいです。」とまで言いました。それだけ、ヨナにとってとうごまは貴重な日陰をもたらしていたということです。だから失いたくないと、ヨナは神様に訴えたのです。

 

 神様は、ヨナを主役にした譬え話で優しく教えています。

『「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。4:11 それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」』

 神様は、とうごまを生えさせ、そして枯らしました。そして今や無防備になったヨナの頭に降り注ぐ陽の光で疲れ果てたヨナは、あらためて神様に不平を訴えます。これで、神様が用意した譬え話の完成です。・・・神様の解き明かしはこうです。たった一日、日よけになってくれたとうごまをヨナは惜しみました。それ以上に、神様は罪人である私たちを何十年も裁かずに惜しんでいるのです。それどころか神様は、私たちが罪人なのに赦そうとしています。それなのに、再び私たちは神様に罪を犯します。そして それでも神様は再び赦されるのです。私たちは、それを繰り返している罪人です。その受け入れてくれる神様がいるからこそ、私たちには平安があるのです。この神様の愛と、イエス様の復活の二つを、ヨナのしるしとして覚えたいです。ヨナのしるしとは、神様の私たちへの愛に始まるイエス様の十字架での死と、復活を指します。ヨナのしるし以外には、イエス様が神様であるとのしるしは与えられていません。ですから、このしるしを 感謝して、そして私たち罪人を許し続ける神様の恵みを憶えて、イエス様の福音を証してまいりましょう。