創世記13:1-18 

主の声に聞くアブラム

2023年11月12日主日礼

主の声に聞くアブラム

 聖書 創世記13:1-18

   今日の聖書は、創世記からです。 紀元前2085年ごろの記事であります。所謂、族長時代が紀元前2100年ごろにはじまります。アブラムと父テラは一緒にハラン(トルコの街でシリアの北側に位置)で生活していました。父テラが亡くなった直後に、神様はアブラムに対して、このように命令します。

創世記『12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。』

父テラは、もともとウル(イラク中部)に住んでいましたが、アブラムとその妻サライそして孫のロトを連れて、カナン地方に向かいました。しかし、どういうわけか、ハランに移住して、そこで、定住したのです。カナン地方というのは、ガリラヤ湖周辺から死海の西側の土地ですが、平地は肥沃な土地であることから、古代から多くの人々が住んでいました。そういった良い場所に移住するのは、自然な事であります。多くの人がそれを望みますから、土地の取り合いになりやすいと言えます。アブラムの父テラは、争いを避けるためにカナンを諦めて、ハランまで北上していたのだと思われます。父と一緒にハランにいたアブラムは、すでに生まれ故郷ウルを離れています。そして今度は、ハランを離れて、神様の示す土地に行くようにとの命令です。アブラムはその命令に従いました。

創世記『12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。12:5 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。』

 ここには、「カナンに行きなさい」との神様の命令は書かれていません。それなのに、アブラムはまっすぐにカナンに向かっています。ですから、父テラのときから、カナンに行くことが一貫した神様の命令であったのだと考えた方がよいでしょう。と言うことは、父テラは、神様の命令に従ったものの、カナンに住むことを諦めてしまったのだと思われます。

さて、アブラムがカナンに入ると、そこにはカナン人が住んでいました。そこに住もうとすると、争いが始まってしまいます。平和を望むならば。あきらめるしかありません。しかし。神様はこんな約束をしました。

『あなたの子孫にこの土地を与える。』

 これは、アブラム本人には与えないことを意味します。そこで、アブラムはカナンを出て南に降ってネゲブ(死海の西南)に行きました。ネゲブは砂漠があるような荒野です。さらに、ひどい飢饉がおこりましたので、アブラムはエジプトへと向かいます。エジプトではサライを妹と偽ったため、災いが起こりました。そのため、アブラムはエジプトを追われます。こうして、アブラムはまた、荒野の地ネゲブに戻るわけです。しかし、荒野ですから、多くの羊や牛を飼うのは困難です。そのために、再びカナンに向うわけですが、そこにはカナン人(フェニキア人)とペリシテ人がいます。すでに良い場所は、誰かが使っているわけですから、多くの羊や牛の群れを飼う場所を探すのは、難しかったと思われます。そして、色々探した結果見つけた場所は十分な広さではありませんでした。それでとうとう、アブラムの家畜を飼う者とロトの家畜を飼う者の間に争いが起きてしまいます。やはり、場所が十分でないから争いが起こりました。ですから、アブラムとロトの居場所を離して、争いを防ぐ必要がありました。アブラムは、平和的に、そこに留まるのが困難だと考えるわけです。そこで、アブラムは提案します。

『13:8 アブラムはロトに言った。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。13:9 あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」』

 結果的に、ロトはヨルダン川を越えて、死海の北部の町ソドムを選びました。神様の命令したカナンの地から離れ、ヨルダン川を越えたのです。その結果、アブラムは、カナンの地に残ります。もちろん、ロトは住む場所を決めるために、下見に行ったと思われます。そして、ソドムを選んだのです。その判断には2つの問題があります。神様の命令した土地であるカナンではないこと、そして神様に従わず悪を行う町を選んだことです。どちらも、神様の声に向き合うならば、選ばないでしょう。だからロトは、神様の声に向き合っていなかったと言えます。ロト自身の思いで選んでしまったのです。このロトの選びは、私たちも経験してきていると思います。神様のみ旨ではない選びをしてしまう私たちは、ただの罪人なのです。だから、私たちは神様のみ旨を聞くことに努める必要があります。そのように努めることで、私たちはその罪ある状態から、救われたいからです。

 さて、アブラムは、ロトがカナンにとどまることを選んだら、どうするつもりだったのでしょうか? カナンの中で新たな場所を探したと思います。そして、どうしても見つからないならば、神様が新たな場所を示すのを待つのだろうと想像します。神様は、アブラムのこの「神様に聞こうとする信仰」を見守っていました。ロトのように自分の思いで行動するのではなく、神様にその判断を委ねていたのです。神様はアブラムに告げます。

『さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。13:15 見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。13:16 あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。13:17 さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。』

 神様は、今度は「あなたの子孫に」ではなく、「あなたとあなたの子孫に」与えると告げました。アブラムの信仰を認めて、神様は永遠にカナンの地をアブラム一族のものにすると約束したのです。そしてまた、アブラムの子孫を繁栄させることも約束します。こうして、アブラムは、ベツレヘムの町から南に下った場所にあるカナンの一地方であるヘブロンに住みます。

この土地は、山深い土地であります。あまり、羊や牛を飼うのには向いていません。しかし、カナン人と争いを避けるための選択だと思われます。そして、

 このアブラムの物語を読むと、常に神様がアブラムを見守っていて、そして進む道を示していることがわかります。アブラムは、神様を信じ、そして愛していました。しかし、それ以上に神様はアブラムだけではなく、全ての人々を愛しているのです。ですから、神様はいつも私たちを導いています。そう、アブラムのように、神様の声を聞いて受け入れる人は、神様の御手の中にいるのです。インマニュエル。神様の御手の中にいる。それは、アブラムのような信仰によって、神様の声を聞くことによって、もたらされる恵みなのです。

 その神様の愛について、ヨハネはこのように語っています。

一ヨハネ『4:9 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。』

 神様は、独り子イエス様をこの地上に降しました。それは、私たちが生きるようにです。しかし、そのためには、私たちの罪を贖う必要があります。その贖いのいけにえとするために、神様が愛する独り子イエス様を私たちに遣わしたのです。それほど、神様は私たちを愛しています。私たちが神様を愛する以上に、神様は私たちを愛してくださっているのです。ですから、人生の岐路に立った時、必ず神様は進む道をお示しになるのです。その神様の声を聞くべきなのです。ロトのように、自分の思いに聞いてしまっては、自分と言う神様ならぬ者に従う事になります。そうならないように、神様の声に耳を傾けていなければなりません。そして、祈ることが大切です。そう、神様の声を聞こうと努力しましょう。かならず、神様はお示しになります。なぜならば、神様は独り子イエス様の命をも私たちに捧げる方だからです。そして、その神様の声は、直接もしくは、人を通して届けられます。ですから、最も小さい者を通して神様が声をかけてくることもあります。そう言う意味で、神様に祈りながら、耳を澄ますことが本当に必要なんだなと思います。

 ところで、ヘブロンという地名ですが、ヒブルーつまりヘブライ人(ユダヤ人の事)の土地ということになります。このヘブロンの地から、イスラエルの歴史は始まります。また、この民族が最初に土地を買ったのもこのヘブロンの地です。その土地は、サラの墓になりました。(創世記23章)こうして、アブラム一族はヘブロンに定着します。そしてヤコブの代にイスラエルの民となりました。神様はヤコブを、イスラエルと呼び、再び、子孫の繁栄を約束したのです。こうしてアブラム一族は、イスラエル民族となったのです。それは、アブラムへの神様の愛による導きによって、もたらされたのです。

 ところで、お気づきでしょうか? 神様は、アブラムがヘブロンに定着するまで何をされたのでしょうか?。神様はカナンの地に、行くように父テラに命じていたと思われます。それなのに、父テラは、ハランに住みます。テラが死ぬと、神様はロトではなくアブラムにカナンへ行くよう命じました。そして、アブラムがカナンの地に入ると「この地をあなたの子孫に与える」と約束しました。ところが、アブラムはカナンに留まらずに南下してネゲブに向かいます。すると、神様はそこにひどい飢饉を起こしたので、アブラムはエジプトに避難します。しかし、神様は災いを起こして、アブラムをエジプトからカナンに戻しました。その時、大きな分かれ目がやって来ます。アブラムはロトに別々に住むことを提案しました。ロトが自分の思いから住む場所を選んだところを見届けると、神様はアブラムを祝福したのです。そして、今度は「この地をあなたと、あなたの子孫に与える」と約束しました。また、「あなたの子孫を繁栄させる」とも約束しました。何度も、導いては導き、そして約束をしているのです。これほどに神様は、アブラムをそしてやがて一つの民族となるイスラエルを一方的に愛したのです。

 私たちは、ロトと同じように不従順なのでしょうか?いつも、自分で選び取ろうとしています。しかし、その背後にはいつも神様の導きがあります。そして、それに気がつかない私たちがいます。ですから、神様の愛と導きに感謝して、祈りましょう。そうすれば、直接に、そして誰かの口を通して、神様が話しかけていることに気がつくはずです。その声に耳を傾けてまいりましょう。