マタイ23:1-36

 偽善者は不幸

   

1.教師はキリスト一人

 

イエス様は群衆と弟子たちにお話しになりました。

 『律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている』

これは、「言っていることは正しい。しかし、実行しないから彼らを見倣ってはいけない。」と言う意味です。これは、律法学者とファリサイ派の人々が口だけという事ではありません、イエス様はさらに続けます。


『 彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。 そのすることは、すべて人に見せるためである。』

彼らのやることは、人に重荷を載せるばかりで、自分では何も負わないし、負っている人を助けることもしない。そして、彼らがすることと言ったら、「人より上」であることを見せる事ばかりです。ですから、先生と呼ばれることを好みます。イエス様は続けます。


『あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。~あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。~あなたがたの教師はキリスト一人だけである。』

弟子と群衆に対して、「教師はキリストだけ、他の人はみな兄弟姉妹であり、上も下もない」ことを教えます。

彼らを反面教師としてイエス様が教えたのは、このみ言葉です。


『 あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。』

 

2.律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ


 イエス様は、彼らの律法を大事にすることが、結果としてどんなことになっているかを、事細かに説明します。


・天の国を閉ざし、入ろうとする人を入れない

・改宗者ができると地獄の子にしてしまう

・黄金や祭壇の供え物にかけて誓わせる(神様に対して誓わせているのではない)

・薄荷、いのんど(dill)、茴香(ウイキョウ、フェンネル)の1/10は(厳密に計って)捧げるが、正義、慈悲、誠実はないがしろ

・ぶよ一匹も見逃さないが、らくだは見逃す

・外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている


 天の国の案内人であるはずの、律法学者とファリサイ派の人々は、案内を務めるどころか、天の国を閉ざし、入れないようにし、改宗者は自分ら以上に悪事を働くように指導してしまう。そして、やることと言ったら、お金や捧げものの要求であって、神に祈って仕えることを教えていない。献金等、見える物は捧げているが、見えない正義、慈悲、誠実は捧げることがない。そして、目で見える細かい律法の適用を指導しているのに、自分らはその律法の大きなところの正義をないがしろにして、まったく見逃しています


この通りであるならば、天国の案内人としてふさわしくないばかりか、本人達にとっても、人々にとってもたいへん不幸な事です。

 

・自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明


最後に、イエス様は、ご自身の受難が、この預言者を殺した子孫によって行われることを預言します。