ルカ2:39-52

 少年イエス

1.少年イエスの記事

 この記事は、ルカ特有のものです。少年時代の記事がここに挿入されることによって、いきなり30歳のイエス様に出会うことは無く、また「たくましく育った」ことを伝えています。その結果、突然宗教家として現われるイエス様の印象とは異なり、神秘性は薄められています。とは言いながら、やはり「神の子」であるとの印象だけは、残されています。

 12歳になった時のエルサレム詣では「慣習に従った」と書かれています。この家族は、毎年過ぎ越しの祭りには、エルサレムに上っていたと言うことですので、0歳から11歳の時も、エルサレムに行っていたことになります。それが、11歳までには何事も起こらなかったわけです。12歳になった時のイエス様には、神殿が「父の家」と認識していますから、すでにイエス様はご自分の役割を知っていたと言えます。

 いなくなったイエス様を両親は捜しました。親類や知人と一緒にエルサレムに上っていたようで、道中誰かと一緒に歩いているくらいに考えていたのでしょう。しかし、一日分の行程を捜しても見つかりませんでした。両親は、イエス様が神殿に居続けているとは、考えつきませんでしたが、エルサレムに引き返します。エルサレムに戻るのは、2日後となります。ですから、神殿でイエス様が見つかったのは、イエス様がいなくなって3日目となります。

2.事件の発端

 さて、このエピソードは「イエス様の12歳の時の出来事」を紹介するために書かれたものではありません。イエス様の生涯を預言している記事だと言えます。イエス様が最後の過ぎ越しの食事をした日に十字架にかけられました。そして、3日目に甦りました。このことを象徴して、少年イエスのエピソードとしているのです。そして、この事件はイエス様が意図して、両親から離れて神殿にいたことを示します。決して偶発的な事件ではないのです。イエス様が、自らの意思で十字架にかかったように、少年イエスはそのことを選んだのです。

 両親は3日目に『神殿の境内で学者たちの真ん中に座わり、話を聞いたり、質問したり』しているイエス様を発見しました。12歳の少年が、学者と話ができるだけでも、優れていると思われるのですが、学者たちの議論の輪の中心となっている姿は、かなり目立ちます。『聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた』とありますが、この聞いている人には両親が含まれます。母マリアは、驚いてそして愚痴を言いました。

『なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。』

この問いかけは、「どうしてなの?」と言った純粋な質問ではなくて、イエス様を非難したものです。

「親に従わずに、勝手にいなくなった。両親に心配させて何か得でもしたのか?」

この非難は、自分の目線から見ているために、イエス様の意思を認めているものではありません。


3.イエス様の言葉

 ここに出てくるイエス様の言葉は、ルカ福音書においては、最初となります。

『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか』。

 明らかに会話が成り立っていません。ついさっきまで、『賢い受け答えに驚いていた』のに、かみ合わない答えとは、同じ少年とは思えないことです。しかも、『両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。』とあるように、この会話の成果は何もありません。と言うことから、イエス様は新約聖書にのこる言葉として、私たち読者(信徒)に対して語り掛けたのだと考えた方が良いと思います。母マリアが「父親に従うべきだ」と言ったので、イエス様はそのこと自身には同意したうえで、「私は、父の家に帰っていた」と主張したわけです。当然のように「父のところにいるのだから、探す必要はなかったはずだ。」とイエス様は言うわけです。

 この会話で重要なのは、12歳にしてイエス様は、神の子であると自覚をし、そして学者たちに学びながら、福音伝道の準備を始めていたと言う、エピソードだと言うことです。この物語が加わることによって、突然イエス様が神秘的に現れたのではなくて、約18年の学び、準備期間があったことがわかります。母マリアは、イエス様の言葉を理解できませんでしたが、『心に納め』ました。

降誕の時と同じです。イエス様が神の子だと知っているからです。

ルカ『2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。

2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。』

 俯瞰すると、イエス様の親離れの物語であるわけですが、

『イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。』

とあるように、両親を捨てたわけではありません。稼業の大工をして家庭を支えたものと思われます。(ただし、ルカはマタイ、マルコのように大工とは書いていません)また、ヨセフは早死にしたらしく、これ以降は登場しません。そういうことから考えると4人の弟がいますから、イエス様が世に出たときには、一番下の弟も18歳前後となって、自立していたと思われます。日本では、大工と言えば建築全体の取りまとめですが、石やレンガや泥を使った壁や天井でできた家では、大工のやる仕事は塗り壁等の心材を組むくらいか、建具しかありません。そういう職業から見て、豊かではなかったはずです。