マタイ26:1-16

 香油を注がれる 

 

1.過ぎ越しの祭り

 

 ユダヤ教三大祭りの一つで、イスラエルの民が神によってエジプトから救い出されたことを祝う祭りです。エジプトの民の長子と家畜の初子を滅ぼした神の使いが、イスラエルの民の家を「過ぎ越し」た(イスラエルの民の長子は守られた)ことに基づいた祭りです。ニサンの月の14日(太陽暦では3月末から4月初めごろ)に小羊を屠って焼き、種なしパンとともに食して祝います。(過ぎ越しの後の食事で、これを1週間続けるのが除麹祭です)ユダヤ教の根源をなすエジプト脱出を記念して、この祭りを忠実に祝うよう聖書は強調しています。イエス様も受難の前夜これを祝われました。

 

 過ぎ越しの祭りの二日前、イエス様は弟子たちに「人の子は、十字架につけられるために引き渡される。」と話しました。人の子とは、イエス様ご自身のことを指しますので、イエス様が、仲間から裏切られて十字架に掛けられることを予告したわけです。ちょうどそのころ、大祭司カイアファは、イエス様を捕らえて殺すことを企んでいましたが、民衆が騒いだら収集が付かなくなると考えて、祭りが終わるまで待つことにします。

 

 2.ナルドの香油

 

 ユダヤの王様は、王になるときに油を注がれます。使う油は、ナルドの香油です。ヒマラヤの山岳地帯で採れる草のナルドスタキス(Nardostachys jatamansi)で、根茎の搾汁をオリーブオイルに溶かしたものです。大変高価なものですが、この時代のユダヤ女性は、ナルドの香油を、壷に入れたままで使わずに持っていたようです。(一種の緊急資金なのかもしれません)

 

 なぜ、その女は香油をイエス様に注いだのでしょうか?それも、食事の最中にです。非常識としか思えないのですが、この女が食事をしているときのイエス様のお話を聞かれて、「の方こそイスラエルの王」、「この方こそメシア(救い主)」と信じたのであれば、またイエス様の言葉で「十字架に掛けられる」ことを知ったのであれば、この行動はおかしくはないのです。イエス様に従って来た女の人の内の一人でしたら、弟子と言っても良いでしょう。何も財産がないなか、唯一の持ち物が高価なナルドの香油の石膏の壷です。彼女はためらわずに、その持っているもの全てをイエス様に捧げたのです。

 

 男の弟子たちは、そろって「もったいない」と憤慨しました。そうだと思います。その彼女のしたことの本当の意味を理解していないのですから。そして、彼女を責めます。信仰告白と言える彼女の行為を、貧しい人への施しと比べ、価値が無いようにまで言うのです。

イエス様は、「今この時しかできない」葬りの準備をしてくれたのだと、弟子たちに言うわけです。イエス様は、お金に換算した価値しか気づかない、憤慨する弟子たちをたしなめたのです

 

3.ユダの企て

 

 ユダが企てなければ、過ぎ越しの祭りの前にイエス様が捕まることは無かったでしょう。しかし、ユダはなぜ銀貨30枚でイエス様を売ったのでしょうか? 先ほどの香油は300デナリオン(ヨハネ12:5)なので、180万円くらいなのに比べ、銀貨1枚が1シュケル(8.33g)ならば、250gの銀は、g単価百円なので2万5千円という事です。安く売ったものです。ユダは、そんなにお金が欲しかったのでしょうか? そして、得たお金を何に使おうとしたのでしょうか?

ユダが何のためにイエス様を裏切ったのかは、いろいろな説があります。このグループの会計をしていて、「お金をごまかしていた」とか、根拠のあまりわからないことまで言われています。その反対に、ユダこそが選ばれた弟子という考えもあるようです。例えば、スイスの神学者カール・バルトは、『ユダはイエスを十字架に架けキリストにする重要な役割を果たした人物であり、「神の使わした者」』と考えたそうです。