使徒26:19-32

鎖につながれながら

1.パウロの弁明(宣教)

 パウロは、総督フェストゥスとアグリッパ(2世)王(レバノンのカルキスの王:ユダヤに領地を持つが、ユダヤはローマ総督が統治しているので、ユダヤの王ではない)の前で、パウロが騒動に巻き込まれたことについて釈明する機会を得ましたが、その機会はパウロがイエス様に出会ったダマスコでの出来事を証する時となりました。パウロは、もちろんすでにローマ皇帝に訴えていますから、ここで裁判の弁明をするよりも、パウロ自身の体験を証することの方が大事でした。

『25:11 もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。」』

 たまたま、そこにアグリッパ2世と ベルニケ(アグリッパ2世の妹で、アグリッパ2世と同棲)が表敬訪問に来ていたので、総督フェストゥスは、パウロの取り調べにこの二人を立ち会わせていたのです。

 パウロの言ったことをまとめると、次の通り、騒ぎを起こしたユダヤ人の訴えを退けるのは、いとも簡単な話です。

①天から示された通りに、 ユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して、悔い改めるように教えた。そのために、神殿にいたパウロをユダヤ人たちは、殺そうとした。

②預言者やモーセ(預言書、モーセ5書)が示していること以外の話をしたことはない。実際に話したのは、「メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになる」と述べただけ。

 誰の命令に従うのが正しいのかという視点で、パウロは天からの命令に従いました。ところが、パウロが天からの命令に従ったことを、ユダヤ人たちは否定するだけではなく、パウロを殺そうとしました。そのユダヤ人たちは、天からの命令を邪魔しているのです。むしろ、罪はそのユダヤ人たちにあります。

 次に、パウロが実際何をしたかと言うと、ユダヤ教の教えそのものを話すことで、証をしてきたことです。特に、聖書に書かれていないことを教えたわけではありません。ですから、何も宗教上の教えで、訴えられるような覚えはないのです。

 ここまでは、パウロの弁明でした。しかし、聖書に書かれていないことをパウロは証しています。それは、「パウロがダマスコで出会った主は、イエスである」と言う事です。また、パウロが異邦人に伝道することは、認められていましたが、「異邦人は、ユダヤの習慣に従わなくてよい」とのパウロの考えは、方々の伝道先で伝統的な考えを持つユダヤ人と衝突していました。しかし、これは犯罪と言うよりも主義主張の違いでしかありません。むしろ、主義主張の違いで人を殺そうとするユダヤ人たちの方が裁かれるべきです。


2.アグリッパに伝道する

 フェストゥスは、「パウロ、お前は頭がおかしい」と言います。それは、そうでしょう。パウロが証ししたのは、天からの声を受けたことであり、その声の主が十字架につけられて死んだはずのイエス様であったと言う事です。ですから、死人がよみがえったこと。そして、十字架にかけられたのは神様であったこと。また、パウロが直接神様からの命令をうけたことの3つをパウロがいっぺんに話したからです。

 普通に信じられない話というよりは、この場合根も葉もない嘘を言っているのか、何か幻覚でも見たのかと言う事ですが、頭がまともな人なら公の場ではこのような事は言わないでしょう。しかし、パウロは真実だと言いました。アグリッパ王は、知っていました。イエス様が十字架にかかって死んだことも、その後遺体がなくなっていたことも、イエス様がよみがえったと言われていることもです。もちろん、アグリッパ王も熱心かどうかは別として、ユダヤ教徒ですから、聖書も学んでいます。パウロは「預言者たちを信じておられますか?」とアグリッパに聞きます。メシア(救い主)に関係する預言は、聖書の中にありますが、それをすべて信じるならば、メシアはイエス・キリストのことだとわかるはずだと言う事です。ですから、預言書の通りダビデの子孫であり、ベツレヘムで生まれ、そして何の罪もないのに苦難を背負って下さったイエス様です。そして復活をされたことが、イエス様が神様でありメシアであることの証明だと言うわけです。

 アグリッパは、「キリスト信者にしてしまうつもりか。」とパウロに言います。実際、パウロにとってどのような場面でも、伝道する場所でありました。短い時間の中でも、イエス様が十字架の死からよみがえったメシアであることをお話しするわけです。アグリッパ王も、その気迫を感じたのでしょう。パウロは、パウロが出会ったすべての人がパウロのように信仰を持ってもらいたかったのです。ただ、鎖でつながれるところまでは、パウロと一緒でなくてよいとパウロは付け加えます。これで、もう尋問することはありません。結論は明らかです。パウロは、自分の信じていることに従って、証をしているだけでした。無罪です。しかし、皇帝に上訴した事実だけは、頂けません。なぜなら、ローマ総督の裁きに不満だと言っているのと同じだからです。