マタイ26:47-75

 裏切られる 


1.裏切られる

イエス様は、ユダが裏切ることを予告していました。そして、剣や棒を持った群衆がやって来たとき、ユダに向かってこう言います。


『26:50 イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。』

 

イエス様は、進んで捕らえられようとします。それは、イエス様ご自身が語られた様に、


『26:56 このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するため』という事になります。


ですから、イエス様は天の軍勢を呼ぶことが出来ても、呼ばれなかったのです。こうして、イエス様ご自身がこの世を救うために与えられた使命を全うしようとしていたのです。

 

2.裁判を受ける

 イエス様は最高法院で、裁判を受けます。(なんと夜明け前にです。過ぎ越しの祭りの前に死刑にするという意図がここにはあるのだと思われます。

しかし、いくら偽証をするものが出ても、死刑に当たる罪は認められませんでした。困った大祭司は、イエス様に聞きます。


『生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。』 


つまり、神の子だとイエス様に言わせることによって、神を冒涜する者との罪をかぶせようとしたのです。


イエス様は、『あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る。』と答えました。


王様の右に座るのは王子であるように、神の右に座るのは、神の子です。そして、イエス様の言葉は、ダニエル書の預言を指しますので、「私がメシア」だ。と言ったことと同じであります。


ダニエル『7:13 夜の幻をなお見ていると、/見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り/「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み7:14 権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え/彼の支配はとこしえに続き/その統治は滅びることがない。』


 イエス様は、こうして十字架に掛けられる道を自らの意思で、歩まれたのです。

 

3.イエスを知らないと言う

 イエス様が逮捕されたとき、弟子たちは逃げてしまいました。命の危険があることを感じ取っていたのだと思われます。しかし、ペトロは様子をうかがうために大祭司の家まで行って中庭に座っていました。そこには、大祭司の下役や女中がいて、ペトロがイエス様の仲間だと言い出すわけです。


ペトロは、そのとき「神に誓って、イエスを知らない」とまで、言ってしまったのです。ペトロは、最後の晩餐の時イエス様にこう誓っていました。泣くしかありません。


『26:33 するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。26:34 イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」26:35 ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。』


鶏鳴教会にあるモニュメント