使徒2:23-42

ペトロの説教(2/2)

 ペトロの説教(その1/2)からの続きです。

 

1.ペトロの説教(その2/2)

 

神様は、ご自身の計画によって、イエス様が十字架につけられるべく引き渡されました。そうして、真の律法を知らない者(祭司長)たちは、イエス様を十字架につけて殺してしまいました。しかし、神様はこのイエス様を死の苦しみから解放して、復活させられました。イエス様が死に支配されたままでないことは、預言されていました。預言者でもある ダビデは、イエス様についてこう歌っています。


『彼は陰府に捨てておかれず、/その体は朽ち果てることがない。』(参照:詩編16:8-11)


神様はイエス様を復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。


 

ダビデ王は偉大な預言者でしたが、死んで葬られ、その墓は今でもあります。ダビデは天に昇りませんでしたが、イエス様は復活して天に昇られたのです。ダビデはイエス様のことをこのように歌っています。


『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。2:35 わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで。」』(参照:詩編110:1)


ここで、「主」は神様を指し、「わたしの主」はイエス様を示します。神様がイエス様に「右の座に着け」と告げたわけですから、イエス様を神様の子として、その座に着くようにしていることがわかります。ですから、イスラエルの全家は、「十字架につけて殺したイエス」を、神様は主としたこと、そしてまた、メシアとされたことを知らなければなりません。


以上がペトロの説教。イエス様を信じるペトロの証でありました。ペトロは、イエス様が神の子であることを確信し、そして聖書に預言されていることが成就したと信じ、イスラエルの民に証をしたのでした。

 

2.バプテスマを受ける

 

 人々はこれを聞いて大いに心を打たれました。ここにいる人々は、みなイエス様の業を、そしてみ言葉も、イエス様の「しるし」も一緒に体験してきました。しかし、イエス様を預言者として見ていた人々は、イエス様を信じるに至らなかったのです。それが、この時のペトロの説教を聞き、そしてイエス様と共にあったときの「しるし」を憶えると、イエス様が神の子であること、神様の計画で十字架にかけられたことそして復活されたことを受け入れて、信じたのです。イエス様に従いながら、今イエス様を信じているペトロだからこそ、人の理解を超えた証しが出来たのだと私は思います。


イエス様を信じた人々はペトロとほかの使徒たちに、どうしたらよいのかを聞きました。ペトロは彼らに言います。「悔い改めなさい。イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受け、罪を赦していただきなさい。」

 イエス様を信じ、そして悔い改めることによって、聖霊を賜ることが出来ます。このようにして聖霊によってバプテスマを受ければ、神様は必ず私たちの罪を許してくださるのです。


そして、この約束は、わたしたちの神様であるイエス様が招いてくださる者ならだれにでも、与えられています。外観の良さ、能力の高さ、性格の良さ、善行の多さなどには寄らないで、すべての人をイエス様は、招いてくださっています。イエス様を十字架に掛けた、イスラエルの人々をも、イエス様はこの時招かれたのですから。