ローマ1:8-17

ローマ訪問の願い

   

1.ローマ訪問の願い

 

 前回、パウロがまだ一度も会ったことのないローマのクリスチャンたちへの挨拶で、「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ」と紹介したことを学びました。パウロには、強い自覚と使命感がありました。また、その世界伝道の過程でローマでの伝道を考えていました。11節に、「私があなたがたに会いたいと」とか、13節にも、「何回そちらに行こうと」とか、15節のところにも、「ぜひ福音を伝えたいのです。」とその思いが記されています。

 パウロがローマで福音を宣べ伝えたいと考えた最初のきっかけは、8節にあります。

『あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。』

パウロは、ローマの信徒の信仰について伝え聞いています。どのようなことを聞いていたのかは、聖書に書かれていません。しかし、ローマでユダヤ教(当時はキリスト教と明確に区別されていなかった)を信じる者が生活するには、一つ決定的に困ったことがありました。それは、ローマ皇帝を神として礼拝しなければならないことです。それも、「ローマ皇帝教」を伝道しているのではなくて、ローマ皇帝への恭順を表すために、皇帝の像を礼拝し、香を焚かなければならなかったのです。つまり、宗教ではなく、「支配を受けいれる」との意思表示です。ローマ皇帝を神として礼拝すれば、ほかの神を礼拝することも許されているのです。そして、皇帝を礼拝しなければ、迫害の対象となりました。ユダヤ人はと言いますと、形だけ取り繕って、皇帝を礼拝して香を焚いた人々もいれば、断固そのことを拒否した人々もいました。このことは、ローマの属州であったユダヤも一緒ですが、やはり、ローマ帝国の首都では厳しい支配を受けていたのだと思われます。特に、「神以外のものを礼拝してはならない」との律法を守らなければならないユダヤ人にとっては、「見せかけだけの礼拝」をすることも罪を犯すことにつながりますから、命がけで逆らうことになります。

 ところで、キリスト教の迫害は、パウロの伝道活動によって各地で起こされていきました。それは、ユダヤ教の人々によるキリスト教迫害です。パウロが異邦人への使徒として立てられましたが、旧来の律法を守ってユダヤ人の様になるように指導している人たちと意見が分かれていました。そのため、パウロが教える先々で、同朋であるユダヤ人に追われ、殺されようとしていました。そして、パウロが手紙で伝えた福音は、世界中(地中海を中心としたローマ世界)に広まって、各地で同じような騒動が起こったと思われます。実際それが原因で、ローマではユダヤ教とキリスト教を区別するようになってきていたようです。それは、ユダヤ教がローマの権力者と協力し合って、キリスト教を弾圧したからだと言われています。この動きに対して、パウロは責任を感じるでしょう。現に、トルコ(リストラ、エフェソ)ギリシャ(フィリピ、テサロニケ、コリント)では、パウロが直接かかわって騒動が起きていました。ローマでも同じような状況だったと思われます。そんな中、パウロが直接指導したことがないローマの人々に直接知らせていない、パウロの語るキリストの福音を届けたいと考えていたのは、間違いありません。

『1:13 兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。1:14 わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。1:15 それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。』

 パウロはいつも彼らのことを祈っていました。ローマの人々の信仰を強くしたかったからです。伝道者であればそれは当然のことです。そのために自分が用いられるのであれば、喜んでそうしたいとの思いです。しかし、パウロはそれだけではありません。この手紙でもう一つの目的地が書かれています。

『15:28 それで、わたしはこのことを済ませてから、つまり、募金の成果を確実に手渡した後、あなたがたのところを経てイスパニアに行きます。』

パウロはもっと遠く西方に、イスパニヤ(スペイン:当時のこの世の果て)まで福音を宣べ伝えたいと願っていたようです。ローマはその第一歩でした。

 

2.福音の力

 「私は福音を恥としない」とあります。福音を宣べ伝えることによって、パウロは迫害を受け、そして辱めを受けました。そして、これから向かう予定のローマにも、パウロと同じように迫害を受け、そして辱めを受けている人々がいます。しかし、福音によって「信じるものすべてが救われる」ことをパウロは体験してきました。その救いは、神様の力によって福音を宣べ伝えることによって、得られるのです。