マタイ27:32-56

 十字架上の神の子 

 1.シモン

  アフリカの田舎から出てきたシモンと言う男が、ローマ兵に強制されて十字架を担がされました。たまたま、ローマ兵がシモンを使ったという事です。十字架刑は、残酷な処刑方法です。すぐに殺すのではなく時間をかけることで、苦しみを味わわせるわけです。とは、いっても元気なまま十字架にかけると、日没に間に合いませんので体力を奪ってから十字架に掛けるわけです。その一環で、十字架刑に掛けられる者は、その自分がかけられる十字架を担って歩かされるわけです。イエス様は、その十字架を担えないほど弱っていた・・・

そのために、ローマ兵が代わりにシモンをみつけて担わせたのです。

 2.十字架につけられる

  ゴルゴダの丘に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとします。苦い物とは、マルコでは、没薬(ミルラ)を入れたものと書かれています。

マルコ『15:23 没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。』

ミルラは、殺菌作用を持つことが知られており、鎮静薬、鎮痛薬として使われます。なぜこの苦いぶどう酒を飲ませるのかは、不明です。(すくなくとも元気づけるためではないでしょう)

また、ミルラはミイラを作るときに殺菌のために使われたそうです。(遺体を燻して殺菌した。またミイラの語源でもある模様です)

(参考)INRI: 罪状書きの頭字語(ラテン語:IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM) 「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」

人々と、祭司長と律法学者は、イエス様をののしります。「十字架から降りてこい」そして、一緒に十字架に掛けられている強盗達もつられて、ののしるのです。

人は、安全な所にいると、ひどいことを簡単に言ってしまいます。そして、その本質は罰をうけて死ぬしかない盗賊たちよりも悪質なのかもしれません。

3.イエスの死

 今度は、酸いぶどう酒が登場します。ワインビネガーと思いますが、殺菌や疲労回復の効果があるようです。ここでは、酸味で「気付け」をするのが目的と思われます。

マタイの記述はマルコと比べると、多くが加筆されています。

『地震が起こり、岩が裂け、27:52 墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。27:53 そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。27:54 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、』 違う時間、違う空間に飛びまわっている記述ですので、マルコの伝える伝承を、著者の主観で膨らませたものと考えられます。

エルサレム神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けたとあります。「神殿の幕」とは、神殿の至聖所と聖所を隔てていた幕で、人間の罪と、聖なる神様との隔てを表していました。主イエスの十字架の死により、その幕が上から下に向かって真っ二つに裂けたのです。神様は、私たちに罪の赦しを与えて下さることを示したのです。

十字架の出来事を見て、ローマの百人隊長等が、主イエスを「本当にこの人は神の子であった」と信仰告白しました。