マタイ21:1-11

 柔和なお方 

  1.エルサレムに向かうイエス様

JUDEA(ユダ)の街Bethphage(ベトファゲ)は、Jericho(エリコ)からJerusalem(エルサレム)に向かう旅では、ほぼ到着直前の場所です。そういう意味で、イエス様のエルサレム入城を歓迎するには、善い地点と言えます。さぞかし、見栄えの良い行列だったのだろうと想像するのですが、なぜかそこに使ったのはロバでした。ベトファゲの街でイエス様の乗るロバ を手配するわけです。そこには、旧約聖書の記事が影響しています。

ゼカリヤ書『9:9娘 シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。』とイスラエルの救いが、歌われていました。マタイはこれを引用 して、イエス様がロバに乗って入場することは、その預言の成就であると主張します。

 わざわざ子ろばを手配して、その子ろばに服をかけ、そして子ロバの進む道には群衆が服をかけ、小枝を敷きました。なにか、絨毯でも敷いたつもりなのでしょう。いま、有る物で最大の歓迎をしているわけです。これにも訳があります。王を迎えるとき、道に服をかける風習 (列 王記下9… 13)があったようです。また、木の枝 とありますのは、棕櫚 (Palm Tree)と 訳されています。しかし、これは日本で見る棕櫚とは少し違って、「なつめやし」なのだそうです。また、復活の前の週の日曜日に、イエス様がエルサレムに入城したことから、その日のことを棕櫚の日曜日(Palm Sunday)と呼ます。

入城の様子について、群衆はどこから来たのでしょうか?たぶん、神殿のある都エルサレムから、来たのだと思われます。イエス様に大勢の群衆がついてきていて、その群衆に囲まれているイエス様を追い越しては、上着や枝を敷いたとは考えにくいのです。そういうわけで、エルサレムから大勢群衆の出迎えに来たと考えた方が良いと思われます。 エルサレムの街中が、ユダヤの王様(イエス様)の入場を待ちわび、そして迎え入れたということです。ダビデの子とは、その救い主である王様のことを指 し、ホサナとは、ヘブライ語で「どうか、救ってください」を意味する ホーシーアー・ナーの短縮形です。

 イエス様は、このとき歓迎されてエルサレムに入城したのです。

2.ユダヤの民が待ち望んでいた救い主

 イエス様は、群衆に歓迎されながらエルサレムに入城しました。エルサレムの街は城壁で囲まれていて、その城壁が高くて頑丈なために、なかなか攻め落とせないところです。そして、ユダヤの中心地でもあり、そのシンボルとして神殿が丘の上に立っています。当時、ユダヤとローマの関係には緊張がありました。ユダヤの民は、ローマの支配のもとで、ローマに税金を払い、そしてユダヤの各地の領主にも税金を払っていたので、ユダヤの民は屈辱を感じていました。そればかりか、ローマの皇帝は、皇帝の像を拝むように、命令を出していたのです。ユダヤの民は聖書の教えに従って、神様以外のものを礼拝することをかたくなに拒んでいました。そんなことから、ローマ軍とユダヤの民の間では、小競り合いが絶えなかったのです。そして、熱心党と呼ばれる、聖書の教えに熱心な人々が、ローマと敵対するような活動をするようになってきて、さらに、反乱の機運を高めていきます。イエス様が活動したのは、紀元30年ごろですが、このころの民衆は反乱を起こして、ローマ兵を追いやるような救世主を求めていたのです。

 そのような時、イエス様が、エルサレムに入城してきたのです。群衆は、そのイエス様によってユダヤの国が取り戻されると思って熱狂したのです。しかし、イエス様がエルサレムに登ってきた目的は違っていました。イエス様は、私たちの罪を贖うために 十字架の上で犠牲になられ、そして復活をするために、エルサレムに登ってきたのです。