コリントの信徒への手紙一1:1-9

挨拶


1.コリントの信徒への手紙一

  AD54年ごろ、パウロはこの手紙をエフェソで書きました。第3次伝道旅行の時にあたります。このころ、パウロはマケドニアの信徒を訪ねていますし、再びコリントへも回ろうとしていまこのころ、コリントの共同体がもめていることを知らされたパウロは愕然としていました。パウロは、協力者アポロやクロエの家の人々から、またステファノから知らされたのでした。当時のローマ帝国には一般市民が利用できる郵便配達システムは存在しなかったため、手紙は旅行者にゆだねられました。確実に届くとは限りません。それでも、手紙を他人に委ねたコリントの教会は、それだけパウロのアドバイスを必要としていたのです。

 パウロがこの手紙を書いてコリントの共同体に伝えたかったことは「信仰によって一致してほしい」ということであります。また、この書簡を利用してコリントの人々の疑問に答えています。パウロは、テトスとその兄弟をコリントに派遣しましたから、この二人によって手紙が運ばれたと思われます。

2.コリントの町

 コリントには古い歴史がありました。ギリシア人が海洋術を学ぶとまもなく、エーゲ海とアドリア海に面していて、両側に港をもつこと、そして東西の港が極めて近いこの都市は、絶好の港町となりました。(ギリシャ南方の海は荒れるので、コリントがエーゲ海とアドリア海をつなぐ玄関となりました。)ギリシアが繁栄した時代(紀元前480~330年)には、コリントは活気あふれる町になっていました。

 その後、ギリシアの覇権を握ったのは、フィリッポスとその息子アレクサンダー大王の率いるマケドニア人であり、さらに100年後、彼らに続いて支配したのは、ローマ人でした。こうした変遷の中で、ギリシア人の都市国家は衰退します。コリントは、ついにローマに反旗を翻しました。紀元前146年、ローマ人はみせしめとして、コリントを破壊しました。100年後、紀元前46年に、ガイウス ユリウス カエサルはこの都市をローマ人の植民都市として再建します。地の利を生かして、コリントは再び栄えました。すでに紀元前29年には、コリントはアカヤ州の首都、総督府の都市となっています。

 パウロの時代には、コリントは現代の大きな港湾都市のような賑わいを見せていました。そこには、ありとあらゆる堕落と不道徳がありました。都市には大金持ちも貧乏人も大勢います。それに加えて、港町にはさまざまな新しい宗教がなだれこんできていました。これらのことが、コリントの教会に影響します。

 ソステネは、使徒言行録18:17に、コリントの会堂長として、群衆につかまった記事に出てきます。しかし、Ⅰコリのソステネは同一人物であるかは、わからないようです。(ソステネは、ユダヤ人をあおってパウロを訴えたと思われますが、その本人がこの手紙のソステネならば、ソステネは改宗したことになります。)

ただ、明らかなのは、コリントでも同朋のユダヤ人との争いが絶えなかったと言うことです。


3.挨拶

  まず第一に、パウロは「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となった」と彼の権威を主張します。神から遣わされた者としての彼の召命であり、信念であると言えます。パウロは、その並外れた権威のゆえに、他の使徒たちとは一線を画しました。彼は特別な試練を経験し、迫害を受けました。彼には、感情の浮き沈みがあり、彼自身の行動に影響を与えていました。彼の気質は繊細です。感情の浮き沈みは、苦難と病気によって悪化しました。パウロの肉体と魂は、緊密な関係性にあり、互いに強力に作用していました。しかし、内面的な気分に かかわらず、パウロは「主イエスの使徒となり、神の賜物を用いる」という召命は、一貫してその強さを損なうことはありませんでした。

 パウロの謙遜は、そのエネルギッシュな召命を引き立たせます。それだから、彼は「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となった」で始まる挨拶の冒頭で「兄弟ソステネ」を紹介するわけです。ソステネの功績はこの書簡にはありません。それなのに、パウロは彼に「兄弟ソステネ」と同列に扱いました。もしパウロが、自身が持ちそうな「自尊心と虚栄心」を抑えているならば、「何の功績もないけれども、主イエスに仕えている意味では、パウロと全く同じ」であるソステネを、共同の書き手としてコリントの教会に最初に伝えるのは、ふさわしいことだと思われます。

 パウロの心にある「すべてのキリスト教徒との一致」の思いで、コリントの「神の教会」に語りかけました。「至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に」という表現は、一致が必要なのはコリントの教会の中だけではなく、どの教会の中も、そして、教会と教会の間も一致が必要なのです。ですから、他の教会の不一致であっても、一致が得られるように、パウロと兄弟ソステネは、働きかけるのです。

 すべてのキリスト教徒の一致、それは人種も文化も乗り越えて、完成させることがキリスト教の目標であります。しかし、その神聖な目標は、現実として到達に至らなかったのです。ですから、パウロがコリントの混血の人々、つまりコリント教会にいるローマ人、ギリシア人、アジア人に対して、すべての人のために神の恵みを教え、その結果主イエスの元に一致するならば、「あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがない」と強調しているのです。パウロはコリントの信徒たちに、彼らが「聖なる人」であること、キリストのからだの一部であることを強調します。だから、パウロは「あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。」と挨拶で主イエスの元への一致を教えたわけです。

 神の御子、人類の主であるキリスト・イエスにある交わり。つまり、キリストにあって、またキリストと互いに交わる私たちの交わりが信仰生活の基盤なのであります。「交わり」という言葉がキリスト教の中で特別な位置を占めます。この言葉は、私たちが尊敬や、信頼を置くだけではなく、神の元での平等、共通の権利と特権の認識、そのすべてがイエス様と個人のつながりによって、生まれるのです。主イエスを信じる事は重要な一致であります。私が信じる主イエスを信じる人。その人とは、キリストによって、一致できるのです。