Ⅰヨハネ5:6-15

神様の 

  

1.神様の証

『5:6 この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、“霊”はこのことを証しする方です。“霊”は真理だからです。』


ここには、「水と血を通って来られた方」、とあります。イエス様が通った「水と血」は、何を指しているのでしょうか。

まず「水」ですが、イエス様が公生涯の初めにされたことを思い出してください。イエス様はヨルダン川に行かれ、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けられました。

イエス様はなぜバプテスマを受けられたのでしょうか。神の御子であるイエス様には全く罪がなかったわけですが、バプテスマのヨハネから「罪を悔い改めるためのバプテスマ」を受けました。もちろんその事は、バプテスマのヨハネも良くわかっていました。

ヨハネ『1:15 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」』

ですから、イエス様がバプテスマを受けたいと申し出た時、彼はびっくりしたはずです。しかし、イエス様は、バプテスマを受けられました。(ヨハネによる福音書には、イエス様がバプテスマを受けた記事はありません。マルコの記事が前提となったと考えてください)

 マルコ『1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。1:10 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。1:11 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。』

このマルコの記事を読むと、イエスがバプテスマを受けることは神様の計画であり、その時聖霊が降ったということです。ですから、神様自らがイエス様について、イエス様の出来事を通して、証しをされているのです。そして、それを信じる者にとっては、最も信じるに足る事実なのです。

血についても同じように、イエス様の体験を象徴しています。

「血」が象徴するのは、十字架です。イエス様は十字架の上で血を流してくださいました。それによって私たちの罪が贖われ、から解放されました。それは、私たちの罪のために流されたイエス様の血の犠牲の賜物です。ですから、血を通して来られたというのは、十字架の出来事を指しています。そして、これも神様のご計画であり、私たちのためにイエス様のことを神様自らが証ししているのです。

水と血そして霊は「神の証」です。この証は人の証を受け入れた時に、人の証以上に私たちに語りかけてくださいます。そして、信仰が与えられるのです。私たちも、イエス様に倣って、バプテスマを受けそして主の晩餐に与り、そして聖霊を受けています。これは、神様の証と比べて小さいものですが、私たちの信仰の証であります。

 

.永遠の命

「神様の証」を受け入れる者は永遠の命を得る。これが、ヨハネが伝えたかったことです。一気に「神様の証」を受け入れるのは難しくても、「人の証」を聞いて、そこに共感することからは始められるでしょう。そうしながら、「神様の証」を受け入れるように変えられるのです。

神の御子を信じる者は、その証しを自分のうちに持っています。その証とは何でしょうか。その証しとは、「神が私たちに永遠の命を与えてくださって、そのいのちが御子のうちにある」というイエス様に対する信仰の告白のことです。イエス様を信じる信仰を持つ者は永遠の命を持っているのです。

みなさんは、「神の証」を受け入れて、イエス様を救い主として信じていると自覚しているでしょうか。信じる者として堅く立ってください。なぜなら、「神様の証」を受け入れ信じる者の願いは、神様は聞き入れてくださるからです。もちろん、神様の御心に適う範囲のことです。そして、「なんでも願う事はかなえられる」という事は、「なんでも願ったときには、すでにかなえられているのです。」聖霊はすでに働きだしているのです。